〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/13 (日) 新院御所各門々固めの事 付けたり 軍評定の事 (二)

上矢うはやかぶら は、生朴なまほほ ・ひら木などをもって、目の上八寸八かく に押しけづ り、目九差めくさ したるに、薙歯なぎは 一寸、手六寸、渡り六寸の大雁股おほかりまた をねぢすげたり。三峰みつみね り立てて、峰にも を付けたりければ、 長刀なぎなた を二つ打違うちちが へて瓶子へいじ に立てたるに異ならず。から白篦しらの に、山鳥やまどり の羽を合作あはせはぎ に、こう霜降しもふ りを交ぜて、本四立もとよつだて にして ぎたりける。廿四差たるえびら の上に、この大鏑おほかぶら を四すじ へたれば、森の中に高きこずゑ一叢ひとむら あら はれたるがごとし。
かち直垂ひたたれ獅子しし まる を三つ二つ縫ひたるに、黒き唐綾からあや を太くたた みておど したる大荒目おほあらめよろひ の、獅子しし まる裾金物すそかなもの白覆輪しろぶくりん なるを着たりける。ねつ練鍔ねりつば黒漆こくしつ太刀たち の三尺八寸ありけるに、熊皮くまかは尻鞘しりざや 入れてぞ きたりける。鎧かろ げに着なし、 具足ぐそく つまやかにして、ゆみ わき に挟み、烏帽子えぼし 引き立て、ゆるぎ でたる形勢ありさま 、彼の東八とうはち 毘沙門びしゃもん の、悪魔あくま 降伏かうふく せんとして、忿怒ふんぬ の形をあらは したまふらんも、かくやとおぼ えておびたたし。いかなる悪魔あくま 行疫神ぎやうやくじん なりとも、おもてむか ふべしとは見えざりけり。
上矢の鏑は、生朴や柊などを用い、穴の上八寸八角に削り、目を九つあけたのに、薙歯一寸、手六寸、わたり六寸の大雁股をねじすげている。三峰に摺り立て、峰にも刃を付けたので、まるで小長刀を二つ交差させて瓶に突き立てたようなものである。柄は白篦に山鳥の羽を合わせはぎにし、鴻の霜ふりの羽も交えて本四つ立てにして作っている。二十四本差した箙の上に、この大鏑矢おおかぶらや を四本差し添えているさまは、森の木々のなかから高い梢がひとかたまりとび抜けているようなものである。かちん の直垂に獅子丸を三つ二つ継いだのに、黒い唐綾を太く畳んでした大荒目、獅子丸の裾金物で白覆輪のよろい といういで立ちであった。三尺八寸もある練鍔の黒漆の太刀を熊皮の尻鞘に納めて差していた。鎧を軽やかに着て、小具足はこぢんまりと弓を脇に挟み、烏帽子を退き立て、得意気にゆるゆると動きまわるさまは、あの東八毘沙門が悪魔を降伏させるべく忿怒の形相をあらわした姿もかくばかりかと大変なものであった。どんな悪魔行疫神といえどもかないそうにない。
かように事柄いかめしげなるのみにあらず、馬の上、歩立かちだちそう じて天をかけつばさ 、地を走るけだもの も、目を けと賭けつけるものを射留めずといふ事なし。将門まさかど純友すみとも にも貞任さだたふ宗任むねたふ にもすぐ れたり。上代にもためし なく、末代にもありがたかるべきつはもの なり。いにし へその名聞えし田村たむら利仁としひと鬼神きじん を攻め、頼光らいくわう保昌やすまさ魔軍まぐん を破りしも、或いは勅命ちょくめい をかた り、或いは神力を先として、武威ぶいほま れを残せり。今の為朝は、勢力すく やかにして、強楚がうそ貫山くわんざんせい にも劣らず。弓の手こま やかにして、養由やうゆう百歩ひやつぽげいあひ 同じ。張良ちゅやうりやう帷帳ゐちやう の内のはかりごと紀信きしん乗車じようしや の上のいさみ 、ただ一身に数芸すげい を兼ねたりければ、猛略まうりやく 武道ぶだう 、さながら古今ここん の間に独歩どつぽ せり。人々、目を驚かし、舌を らずといふ事なし。父為義が立ちたりつるあと かは りて、かしこ まりてぞ候ひける。その気色けしきまこと にあたりを払ひてぞ見えし。
なにも外見がいかめしいだけではなく、その実力たるや、馬上、いかなる時でも、空飛ぶ鳥、地を駆けまわる獣いずれにしろ、ひとたび目についたからには射とどめないことはない。あの将門や純友、貞任・宗任にもましてすぐれている。上代にも前例はなく、かくすぐれた兵士はこれからも出ないことだろう。昔、武勇をもって知られた田村・利仁が鬼神を攻め、頼光や保昌が魔軍を破ったのも、勅命や神力を先立てて、武威の誉れを残したということだ。今の為朝の剛勇ぶりは、あの楚の項羽の勢いにも劣らない。弓の実力は養由にひけを取るものではない張良の戦略、紀信の乗車の勇、為朝は一身にこれらを備えており、猛略武道、すべてにわたって古今の武士にぬきんでている。人々はその剛勇をまのあたりにして恐れおののいた。父為義が退席した後に代わり着座、ひかえている。そのたたずまい、あたりを圧していた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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