左府思し召されけるは、 「当時の世界を案ずるに、内裏の御代
たらんには、関白殿 のさておはするを閣
き、摂政 摂?
せん事はあるべからず。すべからく、新院の御治世になして、関白殿を押
し籠 めたてまつり、政
を我 がままに執
り行ふ」 と思し召されるぞあさましき。この条
、内々新院聞 し召されて、頗
る厭面 に入らせたまひて、ある時、仰せ合はせらるるむね懇
なり。 「それ、天智
天皇 は舒明
の太子 なり。孝徳
天皇、御子 たちあまたましまししかども、人臣列
りたまふ。仁明 は嵯峨
の皇胤 なり。淳和
の孫たちを越えて、宝祚
を継ぎたまふ。我 が身
徳行 なしといへども、先帝
の太子と生 まれて、四海
朝宗 の君となり、十善
の余薫 朽
ちずして、万乗 の尊位
に備はりき。しかるを、一旦
の寵愛によって累代
の正統 を閣
かれ不慮 の蠧害
に障 られ、父子ともに沈淪
の愁へを懐 けり。先院
御存日 の間は、愁鬱
深しといへども、訴 ふる所なくして、空
しく両年 の春秋を送りぬ。今においては、志
を忍ぶに堪へず。斉明
・称徳 二代の後
を追ひて、二度 帝位に備はるか、しからずは、また、位を重仁
親王 に授け、政務
に臨むか。この時に至りて、世を争ふ事、豈
神慮 にも背き、人望にも背かんや。この条々
いかが」 と仰せありければ、左大臣殿、もとよりの御本意なりければ、 「天の与ふるを取らざれば、還へりてその科
を得 、時の至るを行はざれば、還りてその殃
を得 といへり。旧院
崩御なりぬるをもって、時の至る事を知る。この時いかなる御事をも思し召し立たせたまはずんば、何時をか期
しましますべきぞや。もつともしかるべき」 由、合点
申されける上は、子細に及ばず、早
思し召し定めけり。 |