〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (上)

2012/05/05 (土) 新院御謀叛思し召し立たるる事 (一)

東三条とうさんでう には、院方ゐんがたつはもの ども、夜は集まりつど ひ、謀叛むほん をたくらみ、昼は木のこずゑ 、山の上に登りて、内裏だいり 高松殿たかまつどのうかが ひ見るよし聞えけるあひだ、明くる三日、下野守しもつけのかみ 義朝よしともおほ せて東三条の留守るす 小監物せうけんもつ 光員みつかず 以下いげ 、兵三人をから る。 「昨日法皇ほふわう 崩御ほうぎよ なりしに、いつしか今日かかる事の ぬるは、いかなる事にか」 と、万人ばんにん あや しみあへり。およそ京中に謀叛のきこ えありて、軍兵ぐんびやう 東西南北より入り集まり、兵具ひやうぐ をば馬におほ せ車に積み、包み隠してもむら がりつど ふ。そのほか、怪しき事のみ多かりけり。
また、新院も内々仰せありけるは、 「そもそも、 ぎ位を る事、必ずしも嫡庶ちゃくそ によるべからずといへども、かつう器量きりやう堪否かんぴ に従ひ、且は外戚ぐわいせき の高卑による事ぞかし、しかるを、当腹たうぶく 寵愛ちようあい をもって、はる かの末弟近衛院このゑのいん に位を奪はれたりしかば、人に対して面目めんぼく を失ひ、時に当りて恥辱ちじょくいだ く。しかりといへども、事のよりどころ なきによって、先帝せんてい 若年にしてほう ず。これ、すで に天の けざるところあきら けし。よりて、この時に、重仁親王しげひとしんわう ちゃく ちゃく 正統しやうとう なり。もっともそのじん に当りたるところ、あまつさへ、また、かずほか四宮しのみや に超越せらる。遺恨いこん の至り、謝するところを知らず。いかがせまし」 とぞおぼ されける。

新院の御所東三条では、院方の兵どもが夜になると集いあっては謀叛の相談、昼は梢や山に登り内裏高松殿の偵察はおこたりないとのうわさ が聞こえるなか、明けて三日、下野守義朝に命じて、東三条の留守番役小監物光員以下兵士三人を引っ捕えた。 「昨日法皇が崩御なさったばかりなのに、早くもこのような事件の出来しゅったい とはどうしたことか」 と人々はただならぬ不安にかられた。いったい京中では謀叛の噂でもちきり、諸国の軍兵が四方から都に押し入り、武具を馬や車に隠して積み載せ、群がっているとのこと、そのほか、気がかりなことが多かった。
一方、新院もひそかに仰せられたには、 「いったい皇位継承のことはかならずしも嫡庶にこだわるというわけにもゆくまいが、天子たるの器量があるかないかの判断があってしかるべく、また外戚の身分の高卑によって決定することである。それが、ご寵愛の現在のきさき の御子たるゆえをもって、ずっと末の弟近衛院に皇位を奪われてしまい、面目傷つけられ、大恥をかいてしまった。それが、無理な即位がたたってか、先帝は幼くして崩御とあいなった。これをもってしても天命に背くことは明らか。そこで、この際、重仁親王は嫡々の正統にして、天皇として最もふさわしいと思いついた次第。それにまた、思いもよらぬ四の宮の即位で先を越されてしまったこの遺恨は念頭を離れることがない。いかがしたものか」 との思いを強くされた。
『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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