〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/02 (水) 新院、讃岐さぬき せん こう の事

同じく七月二十二日、内裏から仁和寺へ御使いがつか わされ、明日、新院を讃岐国さぬきのくに (香川県) へ移し奉る旨が伝えられた。明くる二十三日、新院は夜深く仁和寺をお出ましになり、鳥羽のあたりを過ぎて、御舟に召されたが、内裏のお使いは、上皇を押し込め奉った御座所の四方を打ち付け、外からじょう をさしてしまった。こうしたきびしい戒めのもとに、新院は、はるばる西の海へ漂われたのである。
同じく二十五日には、左大臣の死骸が実検され、左大臣の息子たちも、それぞれ各地へ流されてしまった。また内裏から関白殿に、父の富家殿を差し出すようにとの仰せがあったが、関白は、 「父を配所につかわして、その子が関白の地位にとどまることは出来ません。それでは関白を辞退いたしたいと存じます」 と申されたので力及ばなかったが、富家殿は奈良にいることも許されず、けっきょく紫野むらさきの 足院そくいん にお移りになった。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
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