やがて朝廷からは、
「為義の子で都に残っている男子はみな斬れ」 という命令が下ったので、義朝は波多野
次郎を呼び出して、 「都のいる幼い弟たちを探し出し、中でも六条堀川の邸にいる四人の弟たちは、船岡山
に連れ出してみな斬れ」 と命じる。波多野は口惜しい役目だと思ったが、十三の乙若
、十一の亀若 、九つの鶴若
、七つの天王 の四人を連れ出して、船岡山に着くと輿
をすえ、幼い子たちを膝に抱いて父為義の討たれてことを語り、これからあなたたちにも太刀をあてなかればならないという。これを聞いて泣き叫ぶ三人の弟たちに向かって、兄の乙若は、
「心を静めて聞け。下野守
は、六十をこえて出家し、病に伏せって命乞いされる父上をさえ斬り奉った無法者だ。我らを何しに助けおこうぞ。泣くな弟たち。泣いたとて誰が助けに来ようぞ。西に向かって手を合わせ、父入道と一つ所に迎え給えと念仏を申すがよい」
と、けなげにも言い含めた。これを聞く斬り手の武士たちは、みな涙を流して嘆くのであったが、とうとう亀若・鶴若・天王の首を、つぎつぎと斬り落としてしまった。 乙若は三人の首を一所に並べ、その血を押しのごい、波多野に向かって、
「母上は今朝八幡へ詣られたが、もはや御下向
であろう。お前は、すぐ堀川
の邸 へ参って、我らの最後を語り、この形見を母上に奉れ」
と言って、弟たちの額髪
を切り取り、自らのと合わせ包んで、指先を喰い切った血でもって、面々の名を書き付けた上で、 「兄上に申せ。清盛にだまされて父に首を斬り兄弟を失い、ただ一人生き残って、ついには平家のためにわが身も亡び、源氏の種の絶えることの口惜しさよ。その時期は三年か、遠くとも七年を過ぎることはあるまい、と確かに申し伝えよ。さらば斬れ」
と西に向かって高らかに念仏し、首をのべて討たせた。 |