〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/02 (水) 左府の最後と重仁親王御出家のこと

さて、左大臣の頸の骨に突き立った白羽しらは の矢を、お供の少納言成澄なりずみ が引き抜くと、竹の筒から水を流すように血が吹き出して、左大臣はもう目を動かすばかりで、ものも言えなくなってしまった。同じく十二日、せめて父の富家ふけ 殿どの のお目にかけようと、車に乗せてお連れしたが、富家殿も世をはばか ってお会いにならない。止むを得ず奈良の方へお供をしたが、いよいよ弱りはてて、七月十四日には、ついにはかなくなられた。
翌十五日になると、謀反人たちはつぎつぎと捕らえられ、なかでも式部しきぶの 大夫たゆう 盛憲もりのり蔵人くらんどの 大夫たゆう 経憲つねのり などは、あの応天門おうてんもん の放火事件で嫌疑のあった、大納言ともの 善雄よしお拷問ごうもん を受けた前例ならって、七十五度の鞭打ちにあい、とうとう悶絶してしまう始末であった。
重仁親王は仁和寺へ入って出家され、新院も御嘆きのあまり、

思ひきや 身をうき雲に なしはてて  嵐の風に まかすべしとは
(わが身を、嵐の風に押し流される浮き雲のような境遇に落とすなどとは、思いもよらないことであった)
などと思い続けられるのであった。
『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
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