下野守
義朝 が二条河原に控えているところに、平家の馬が一匹走り込んで跳びまわっているのを引っぱって来た鎌田次郎は、
「御覧ください。平家の馬と思われます。八郎殿の弓勢
の怖ろしさ。たとい工匠の鑿
で打ち込んだとしても、これほど通すことはできますまい」 と舌を巻いている。義朝は、 「十七か八の八郎に、そんな腕があるものか。まかしておけ。八郎は義朝がしこんでやろう」
と駆け出そうとするので、鎌田は、 「あるまじき御こと、大将軍は最後の最後になってこそ駆けられるべきです」 と押しとどめ、 「政清
が様子を伺って参りましょう」 と駆け出して、門の側まで押し寄せ、 「下野守殿の家来、鎌田次郎と申す。この門は誰が守っておられるのか」
とわめいたので、為朝は、 「いたみいった奴の言葉よ。きさまは源氏の家来ではないか。この門は為朝が固めておるぞ。主人に向かって狼藉
であろう。さっさと引き退け」 という。鎌田は、あざ笑って、 「日ごろは源氏の御主人、今は罪深い謀反人だ。勅命によるこの矢は政清のものではない。八幡大菩薩の射給う御矢である」
と、声につれてひょうと射たところ、その矢は為朝の左の頬を射削って、甲
の垂れに突き刺さった。 為朝はあまりの憎さに、鎌田の矢を引きむしって投げ捨て、弓を脇挟んで、 「鎌田め、あますなみらすな、手取りの与次
、射手 の城八
、駆 けよ駆けよ」 と右手をさし上げて、手取りにしようと追っ駆けた。逃げる鎌田を追う為朝は、
「あますな、もらすな。かいつかんで頸をねじ切り、八つ裂きにしてくれよう」 と攻めたので、鎌田は鞍の前輪にうつぶせに寄りかかって、馬の息の続くかぎり、東の河原をまっすぐに下り、捨て鞭打って落ちのびた。 鎌田は義朝の前まで逃げて、あえぎながら、
「是ほど手痛い目に逢ったことがございません。私の馬は日ごろ逸物
と思っていましたが、只ひとところに躍っている心地で、まるで雷の落ちかかるような気がして、目もくらんで馬から落ちそうでございました。何という恐ろしい勢いでございましょう」
と申して、息をついでいた。 義朝は、 「政清が為朝に臆して、そう思ったのだろう。さらば、わしがひと当て当てて見せよう」 と駆けだして、門近くまで寄せると、
「この門を守るは誰 れ人か。かく申すは下野守
源 義朝
、勅命を承って参った」 と呼びかけると、為朝は、 「鎮西八郎為朝、院宣
によって守護し奉る」 と答える。義朝は、 「何と申す。勅命であるぞ。兄に向かって弓を引くは、神仏の加護も尽きようものを。どうだ」 という。為朝はあざ笑って、
「兄に向かって弓を引き、神仏に見放されるならば、そなたは何ゆえ父に向かって弓を引かれるのだ」 と答える。 見わたせば馬の立て方も群を抜いていた、あっぱれな大将軍姿、夜明けの光にほの見える甲
の隙間 は、絶好の的である。一矢でもってと、いまにも弓を引こうとしたが、
「待て待て。父為義殿と兄義朝とは、内々通じ合い、互いに助け合う約束があろうかも知れぬ」 と思いなおし、先細
の矢をはずして鏑矢
につけかえ、弓を持った握り拳を高々とさし上げて射放った。鏑矢は御所中・陣中を響きわたり、義朝の甲に打ち付けた星を射削り、遥か後
ろの宝荘厳院
の門の扉の、厚さ五、六寸ばかりの板に、矢の半ば以上が突き立った。義朝は目もくらんで馬から落ちようとしたが、かろうじてふみとどまった。 両軍はここで入り乱れての合戦に突入するが、敵を斬り捨て斬り落とし、わめき叫んで駆けめぐる為朝の周囲には、一騎も近づく者がいなかった。 |