〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/04/30 (月) 鎮 西 八 郎 為 朝 の 登 場

為朝の面魂つらだましい は、まことにいかめしく、背丈せたけ は七尺にあまって並の人より二、三尺も高く、生まれついた弓の上手で、左手の腕が右手より四寸も長かったので、八尺五寸の大弓を引くのであった。二十四本差したえびら の上に、大きな鏑矢かぶらや を四本差し添えたのは、まるで森の中に高い梢から飛び出しているかのようである。その大弓を脇挟わきばさ み、揺るぎ出てくる勢いは、かの刀八とうはち 毘沙門天びしゃもんてん が悪魔退治に忿怒ふんぬ する姿を現したようで、いかなる悪鬼であろうともとうていかなうまいと見えた。将門まさかど純友すみとも も、また貞任さだとう宗任むねとう も、昔から今にいたるまでだれであろうと、これに敵する英雄はとyていあり得ないと見える為朝の雄姿であった。
新院は御簾みす の間からこの姿を御覧になり、 「まことに一騎当千のつわもの とは為朝のことだ」 と、とりわけお喜びになったおもむきである。
さて、 「合戦の次第を申せ」 との仰せに、為朝はかしこまって、 「合戦には夜討ちにまさる計略はございません。夜明け前に内裏高松殿に押し寄せ、三方から火をかけて攻め込めば、敵は一人も逃げられぬはず、兄の義朝だけが手ごわく防ぎましょうが、私が真ん中を狙って射通してしまいましょう。清盛などのへろへろ・・・・ 矢は、ものの数でもございません。天皇の行幸が始まれば、御輿みこし に矢を射つけましょう。輿から恐れて逃げるとき、行幸をこの御所へ導き奉れば、たちまちのうちに勝敗を決めることができましょう」 と、むぞうさに言い放ったので、左大臣は、 「それは粗暴なことだ。夜討ちなどとは、お前らの私戦わたくしいくさ でのこと、主上の御国争おんくにあらそ いの合戦として、あるべきことではない。奈良の僧兵ら、また吉野よしの十津とつ かわ し矢三町、とお 矢八町といった射手いて たちも、明日は御所に参るはず、彼らを引き連れて合戦すべきであえる。夜の間、よくよく御所を警固して、奈良の兵を待つがよい」 と仰せられたので、為朝は、 「義朝は心得のある武士だ。人に先手を取られるはずがない。合戦のはかりごとは、この為朝に委せられるがよい。口惜しいことだ。今にも敵におそわれて、御方みかた の兵らがあわてふためくことだろうよ」 と、高らに罵って退出してしまった。
為朝は幼いころからの荒くれ者で、父為義も扱いかねて九州へ追い下していた。十三の年から豊後国ぶんこのくに (大分県) に住み、阿蘇あその 忠景ただかげ婿むこ となり、菊池・原田などの豪族を従え、三年の間に九州一円を征服してしまったので、父の為義は官を解かれてしまう。これを聞いた為朝は、父の無罪を陳情ために上洛したが、為朝を慕い寄る兵らはすべて押しとどめ、矢前払やさきはら いの首藤すとう 九郎・あき かぞ えの悪七別当あくしちべっとう ・手取りの与次よじ与二よじ 三郎・三じょう つぶて 平二へいじ ・大矢の新三郎・金拳かなこぶし の八平二など、一騎当千のつわもの 十七騎をはじめ五十騎だけを引き連れて、都へ上って来たのである。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
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