〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/04/29 (日) 源為義、上皇に召し出される事

七月九日の夜、新院は鳥羽の田中たなか 殿どの から京の白河殿しらかわどの御行ごこう 、その夜ただちに六条判官ほうがん 為義ためよし をお召しになったが、為義は辞退したので左京大夫さきょうのだぶ 教長のりなが を宿所に遣わして説得されると、
「わたくしは、実戦の経験にも乏しく適任とは思えません。長男の義朝は武勇のつわもの でございますが、内裏の御方へ参ってしまいました。残る子らの中では、末子の為朝ためとも だけが頼りになりましょう。あいつを参上いたさせましょうか」
と、しぶしぶ申し上げる。これを聞いた教長は、
「家に居ながらの御返事は無礼であろう」 というので、為義は、
「私の気が進みませんのは、年ごろ鎮守府将軍を望んでおりましたのに御許しがなく、祖父頼義よりよし の例にならって、伊与いよの くに (愛媛県) を所望しましたところ、これも許されません、また父義家よしいえ の任国陸奥守むつのかみ を願いましたところ、陸奥国主は源氏の家に不吉であると、これも御許しがなく、今にいたるまで望みをかなえることができません。そのうえ先日、不思議な夢を見ました。代々の源氏に相伝の薄金うすがね膝丸ひざまる月数つきかず日数ひかず 以下のよろい が、風に吹かれて四方へ散ると見ましたので、心もとなくて何処へもさし出る気がいたしません」
と申し上げたところ、再び教長に、
「今度の忠勤によってこそ年ごろの望みは達せられようものぞ。そなたほどの武者が夢物語などとは、おじけのついた話ではないか。とにかく参上して、上皇様への御返事あるべきである」
と、説得されて、いたしかたなく諒承し、鎮西八郎ちんぜいはちろう為朝ためとも をはじめ、七人の子らを引き連れて院の御所へ参ることになった。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ
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