二条の御母は、藤原懿子。その母君は、はやく、おかくれになった。 ために、おん繦褓
のころから、美福門院の手で、育てられたのである。 幼より御即位まで、まったく、女院の女房たちの中で人となられたことは、二条の御性格に、後天的感化がなかったとは決していえない。 挙止、御粧
いばかりでなく、御思考においてもである。 けれど、御頭脳は、極めて、すぐれていた。美福門院が、珠のごとく、愛育してきた自慢でもあった。さればこそ、後白河の第一皇子として、その受禅
(皇位継承) には、美福も絶対に、この君を挙げたのである。 そして、美福腹の、鳥羽の皇女、?子内親王を、中宮
としたのであったが、あわれ、今年の秋の初め、中宮?子は、剃髪して、寺院にお姿をかくしてしまった。 世にあり得ない恋を煩
て、日夜、懊悩 されている二条のお心を
「浅ましくも、つれなき夫
よ」 と恨まれての遁世
であろうとは、御匣殿
の女房たちのささやきであった。 二条の恋は、それを、かえりみもしないほど、一面には情熱的で、一面には、冷酷であった。 あらゆる諌言も、耳にはしない。 また、臣下の諌めも、理をもってすれば理をもって、いいこめてしまうだけの、御頭脳の冴
えを持っておいでになる。 清盛などは、ことに、その点ではすぐ言い負かされてしまう。 かれが、二の句もない態
で、黙り込んでしまったため、天皇は、 鬱々
のお胸が、ややスッとしたように、 「そうだろう、清盛、朕の言うことに、間違いがあるか」 と、誇られた。 「御諚
は、ごもっともです」 そうお答えするしかない。 すると、二条は、なお御自身のお考えに、信念をもって、こう揚言あそばした。 「古来、天子に父母なし
── というではないか。それほど、絶対なるものとされながら、なぜ朕の私事
を、皆して、先規 がどうの、世評がいかがかのと、
手? 足枷
をかけて、きゅうくつに、押さえつけるのか。── 国政の大事なものは、上皇の御意にも従い、上皇の御処断にも、お任せしよう。・・・・しかし、恋をすら、朕が、かくまでに恋うものすら、心のままにならないほどなら、万乗
の位も、何かせん。・・・・ああ、つまらぬ。九五の 尊
とは、いったい、何か」 二条は、もう一個の清盛が対象ではない。 滂沱
と、また、おん涙を新たに垂れて、人間としての、自由の権を、おもがきになるのであった。 「御位も何かせん ── と、ああ、それまでの御諚を伺っては、清盛とて、これ以上、何をか申しましょう。もうふた度
も三度も、かさねて、院におすがり申し上げてみるしかありますまい」 「おお。・・・・たのむ、たのむ、清盛」 二条は、おん袖
をかき合わせて、大床子
の上に、泣き濡れた龍顔
を、がばと、うつ伏せておしまいになった。 |