佳人、薄命という。 たれも、この君を、薄命とは、見もしまい。けれど薄命という以上、多子の君は、数奇
な運命の女性であった。生まれながらといってよい。 まことの父は、右大臣徳大寺公能
である。── が、幼少、叔母の幸子が嫁いださきの ── 悪左府頼長の養女にもらわれていた。 そして、近衛天皇十二の御年の、皇后になって、入内した。 かの女は、時に、十三であった。 いくばくもなく、保元の乱となり、養父頼長は、その元凶として追われ、宇治の野末で、非業
な最期 をとげた。 近衛天皇も、御年わずか十七で、崩御された。 ・・・・・それからの五年の間にも、朝廷は、後白河天皇から、今上の二条と御代が変わっている。かの女は、芳紀
まだ二十三でしかないのに、太皇太后という、まことに、遠い過去の象徴みたいな称号を持って呼ばれていた。 けれど、侍女たちは、略して 「大宮
さま」 とも 「大宮所
さま」 ともお呼び申している。 御所は、近衛河原の東にあった。 侍女の小
侍従 をあいてに、筝
をひき、歌をよみ画を描き、極まれには、お好きな琵琶
を取り出して、手すざびし給うことなどもある。 容姿のおん麗
しさは、近衛帝とおわかれになって、近衛河原の訪う人もない御所にお入りになってから、あたりが幽寂なせいか、なおさら、お美しさが増して来られたような ── と、人はひそかに言うのであった。 才媛
としての、お筆の見事さや、琵琶、筝などの技は、むかしの紫の君や納言などの閨秀
にも、おさおさ劣るものではないと、小
式部 たちは、この、やごとなき麗人に侍
く身を、誇りともしたし、また、その埋
れ木 にも似た薄命を、いつも、うら悲しげに、淋
しむのでもあった。 「あっ。・・・・あれっ・・・・」 小侍従は、虫の音の中で、はたと、足をすくませた。 表御門は、開けられた例
がない。裏門とても、めったには、開かないほどである。いつも人知れぬ大庭のすみの田舎門めいた草深い小道の墻
を、そっと、女ばかりの通路としているのである。 小侍従はいま、何気なく、そこから河原の方へ、降りようとした。すると、また、いつもの人影が立っていたのである。夕月の青い下に、露もしとどに濡れて立っている。 「あ、もしっ・・・・小侍従どの」 狩衣
の朝臣は、片手に、 駒
の口輪をつかみ、片手をあげて、逃げかかるかの女を、呼びとめた。 「── 待ってください。おねがいです。あなたが、今宵もここへ出てくださらなければ、わたくしは、夜どおし、明け方までも、駒と一緒に、露に濡れていなければなりませんでした。・・・・念じていた神のお救いです。小侍従どの、これを、大宮所さまのお手にさしあげてください」 「・・・・・」 「いやとは、仰せられますまい。これは、御製です、天子のお筆です。・・・・小侍従どの、恩歌のお返しを、いただいてください。──
多子の君から」 「い・・・いけません。わたくし・・・・お取次ぎいたすと、しかられます」 「夏にも、初秋にも、幾たびか、この頭国実
がおん使いに来ては、何度、お歌をさしあげてあることでしょう」 「で・・・・ですから・・・・もう、きつく、お受けすなと、お止めされておりまする」 「さいごです。これきりです。・・・・どうか、もう一度」 「でも」 と、去りがてに、拒
んでいるまに、頭 中将国実は、かの女のそばへ寄って来て、御製の恋歌を、そっと、かの女のふところに差し入れた。 小侍従は、身震いが出た。 勅筆と思うては、捨てもできない。 「御返歌は、今とは申しません。いただけるまで、また幾夜でも、通いましょう。そう仰せ上げてください」 頭国実は、馬に乗って、秋草の中を、帰って行った。 「どうしよう?」 小侍従は、困った。天皇の熾烈
な恋歌を抱いて、その宵じゅう、途方にくれた。 が、思い切って、太皇太后の御文机のはしへ、そっと、乗せておいた。御方がお湯殿へ入られたその間に。 その夜も、翌日も、かの女は、はらはらしていたが、多子は、何も言い出さない。余りにさりげない御眉
にさえ見える。 |