天皇は、中殿
(清涼殿) の昼
の御座 を、半ば、帳台で遮
られ、大床子
(机) にお 肱
をついて、おん後ろ向きに、もの思わしく、頬
づえしておられた。 清盛は、さっきから、その背へ向かって、長いこと、平伏していた。 ・・・・天皇は、泣いていらっしゃる。しゅくしゅくと、すすり泣いていらっしゃる。 御引直衣
の真白な御衣 の 下襲
ねの紅 がふるえておいで遊ばすし、透額
透額 の御冠も、女性
かと見まごう鬢 のあたりへも、わななかせて、血のいろを上
せて、おいでになる。 秋深い内裏の昼の静けさは、まるで山林に在るような思いがする。── 東側の広庭をゆく “御
溝水 ” とよぶ、きれいな流れの音が、御窓の外をせせらぎ、萩、桔梗
、すすきの叢 にすだく昼の虫の音と一つになり、それは、自然な小夜曲の奏
でになっていた。 「わかった。── もうよい、清盛、もうよい、お退
がりっ」 天皇は、ふいに、かれの方をふり向いて、駄々っ子のように、仰った。 「はい」 と、答えながら、清盛はしかし、動きもしなかった。──
間をおいて、 「・・・・では、御得心な給わりましたか」 静かに、いうと、二条は、おん涙をぬぐわせられ、御顔を振った。 「上皇のお胸は、いま、おことからよく聞いた。それは分かった。・・・・が、朕
はべつに朕の考えを持っている」 「べつな叡慮
と仰せ遊ばすのは」 「おことに、告げてみても、どうもなるまい。おことも、ただ、朕を諫
めてばかりいる一人ではないか」 「いいえ、清盛はなお千々
に心をくだいております。けれど、つい昨夜も、上皇のお許しを得るにはいたりませんでした。さりとて、断念してはおりませぬ」 「そうか。・・・・公能は承知した。あとは、院の思し召お一つなのだ。──
と、おもえばなお恨めしいぞ。清盛」 「はい」 「恋は、これ、朕の私事
ではないか」 「そうです」 「人みな、恋はするのに、なぜひとり朕が恋しては、いけないのか。── 大勢して、わが恋を、阻
めるのか」 「決して、陛下とて、恋をしてはならぬなどという法則はございません。万葉の歌のかずかずのうちには、幾多、お美しい恋も見られるではありませぬか」 「では、なぜ、上皇はじめ、おことたちは」 「あ、お待ちください。陛下、どうか激
することなく、御 聡明
に、そこをお聞きわけ給わりませ」 「どう、聞きわけよというか」 「院の御憂慮あそばすところは、決して、恋そのことではありません。── 二代の后
という例は、わが朝 には、ないということです」 「いや、唐
にはある。則天 武后
は、唐の太宗 の后、高宗皇帝の継母でおわせられたが、父太宗のみまかれた後、高宗の后に立たれたではないか。史上、明記されているではないか」 「それは、異朝の例でしょう」 「異朝というが、唐大陸
からは、わが国へ、学問、文化、宗教、あらゆるものを、求めたではないか、なぜ、そのこと一つは、異朝の例だから悪いというのか」 二条は、蘭花
のおん眦 を腫
らせて、仰るのであった。 玉顔は、激越なお胸のものを発して、耳朶
までを、熟 れた茱萸
のようにしていらっしゃる。そのお美しさといったらない。── かっての戦
の前夜、黒戸御所
から御車にかくれて宮門脱走を謀
られたさい、源氏の金子十郎が、松明
をかざして見ながら、この君を、女性と見違えて、通してしまったということがあったが ── 清盛はいま、それを思い出して 「むりもない」 と、仰ぎ見とれるのであった。 |