〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-T』 〜 〜
2012/04/06 (金) 雪 の あ と (二)
一口に六波羅といっても、北は五条松原から、東は小松谷、西は加茂川、南は七条あたりまでの地域をいうので、合戦も一ヶ所二ヶ所ではない。
後に。
平家一門の最全盛期には、この地帯に、同族の邸宅が五千二百余
宇
(
う
)
に及んだということであるが ──平治合戦当時には、北の
車大路
(
くるまおおじ
)
から
東大路
(
ひがしおおじ
)
の
目路
(
めじ
)
(横丁)
目路
(
めじ
)
にわたり、
眷族
(
けんぞく
)
大小の
家数
(
いえかず
)
、百七十余軒であったという。
で ── 源氏方はもちろん主力を清盛の居館一つにそそぎ、大部隊は、加茂川をこえて接近し、東大路方面からも、べつな一軍が
迂回
(
うかい
)
作戦
(
さくせん
)
をとって、包囲形をとろうとしていた。
もし、この方面の突破が、源氏に幸いしていたら、当然、六波羅は陥落し、清盛の生命は、その日までのものだったに違いない。
ところが、源氏のこの迂回部隊の方は、散々に敗れた。
原因は、坂東武者が、地勢に暗かったためである。
目路目路へ突入した源氏の兵は、巧妙な敵の伏兵や
挟撃
(
きょうげき
)
に会って、
完
(
まつた
)
く、
隊伍
(
たいご
)
の形を失い、雪泥の中を
潰乱
(
かいらん
)
してゆくところを、松原や家々の屋根などから、射浴びせて来る矢に
中
(
あた
)
って、逃げ惑い、音羽谷や清水の丘へ、散々に、崩れてしまった。
この方面で、意気を揚げた平家方は、
「勝ったと思うのは、まだ早い。
御所
(
ごしょ
)
へ、
助
(
す
)
けに向かえ」
「仮御所が、危ないぞ」
と、余勢を
回
(
かえ
)
して、加茂川方面の敵の主力へ、側面から、攻勢に出た。
さきに、悪源太義平に
蹴散
(
けち
)
らされて、七条辺りまで
退
(
さ
)
がった兵庫頭頼政も、そのころ、源氏のうしろを、脅かしていた。
もう寸土で、清盛の
舘
(
たち
)
とまで、攻め詰めて来ながら、形成は逆になりはじめた。義朝は、後方、側面の味方のくずれを見て、
「時を
措
(
お
)
くな。あれ、あの二階門の
櫓
(
やぐら
)
にいるのが、清盛ぞ」
と、捨て身をかけて、ひた押しに、迫った。
すると、どうしたのか、主力の鋭角をなしていた悪源太の一隊が、どっと、河原の方へ、崩れ立ってしまった。
「やあ、
醜
(
みにく
)
いぞ、義平ともある者が。── 朝長、頼朝。お
汝
(
こと
)
らは、父を離れるな。父は退かぬぞ。清盛を、あの櫓より引き降ろさぬうちは」
義朝の姿に、
焦躁
(
しょうそう
)
がみえた。こういい払うや否、弓を投げた。その意志は、白刃一
閃
(
せん
)
、身を
挺
(
てい
)
して、直ちに、二階門の下へと駆け寄せ、清盛にたいして、
「君、降り給え。一騎と一騎の勝負を決っせん」
と、呼びかけようとするものに違いなかった。
しかし、そのとき、かれの周囲の将士も、急に乱れたち、ほとんど、馬の立てようもないほど、混雑しだした。そして義朝や朝長の姿を巻き込んだまま、渦になって、大橋の下から河原一帯へ逃げなだれた。
これは、東大路の方から、新手な六波羅勢が殺到したのと、兵庫頭頼政の一手である渡辺党が、短兵急に、
斬
(
き
)
り込んで来たことにもよるが、最大の理由は、五条の
西詰
(
にしづめ
)
に、思いがけない赤旗
赤幟
(
あかじるし
)
の大部隊が現れ、疲れのない
弓勢
(
ゆんぜ
)
をこなたへ向けて、義朝父子を始め、深入りしすぎた源氏の首脳を、網の中の物として来るかに見えたからだ。
「やおれ、小ざかしい敵」
悪源太義平は、それを見て、急に、われから河原へ進み、父の側面を防ごうとしたものに違いない。
けれど、このころもう洛中の諸所には、
黒煙
(
くろけむり
)
があがっていた。それは、兵士に軍勢が
辻々
(
つじつじ
)
に起こって、六条源氏町の
界隈
(
かいわい
)
をはじめ、敵と名のつく家々を焼き始めたことを意味している。
すでに大内には赤旗が立ち、市中にも
埋兵
(
まいへい
)
がいるとすれば、義朝たちの位置は、まさに死地であり、孤軍の形そのものだった。
あれほど烈しく、一たんは清盛の
舘
(
たち
)
まで迫った源氏の主隊が、頼政や平家の新手に、もろくも腹背から
衝
(
つ
)
きくずされたのは、たしかに、それを感じた刹那の士気の
阻喪
(
そそう
)
というほかはない。
誇りと秩序を
抛
(
なげう
)
った軍勢は、もう
怯者
(
きょうしゃ
)
も勇者も、ひとしい
奔流
(
ほんりゅう
)
になって、加茂川上流の方へ駆けなだれた。
「ふがいなき味方よ。なんで、さは逃げ争うぞ。見ずや、義平はまだここに踏みとどまっているのを」
と、悪源太と十数騎は、なお河原に入り乱れて、新手の敵と戦っていたが、平家方は、用兵の妙をつくして、千変万化、義平を、疲らせた。
「無念だが、これまでだ。死のう、父と一緒に」
かれが、血河の中で、父の姿を探しているとき、父の義朝も、
「義平は、どうしたか」
と、死所は一つにと念ずるような
眼
(
まな
)
ざしで、子の影を求めていた。
『新・平家物語(三)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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