〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-T』 〜 〜
2012/04/06 (金) 雪 の あ と (三)
「朝長はいるか。頼朝はいるか。── オオ兄の義平も、それへ来たか」
惨たる一かたまりの人馬の中で、義平は、悲壮な面で、まわりへいった。
「
戦
(
いくさ
)
はこれまで。さむらいの子と生まれたは、お
汝
(
こと
)
らの悲運ぞ。義朝の運は、今ときわまった。父は、
最期
(
さいご
)
をとげる。お
汝
(
こと
)
らは、思い思いに落ちて行け」
「ご一緒に、死なせてください。朝長も頼朝も、おそばを離れません。いやです。離れるのは」
朝長もいう、頼朝もいう。
長男の義平は、
「この
期
(
ご
)
に、だだをこねるな」
と、二人の弟を、しかりつけた。そして、
「
殿軍
(
しんがり
)
は、わたくしがします。そういうことがわたくしの好むところなんですから。お悲しみくださいますな。父上は弟どもを連れ、どこへなりと、お立ち
退
(
の
)
きあるように」
と、言い張った。
「いや、それは御無用です」
鎌田兵衛、斉藤実盛、陸奥六郎、
後藤
(
ごとう
)
真基
(
さねもと
)
など、まわりの声は、こぞって、反対した。
「弓矢を取って、源氏がこんな敗れ方をしたのは、八幡殿
(義家)
このかた、始めてです。けれども兵家の習い、是非がありません。だだ、口惜しいのは、
過
(
あやま
)
って、
右衛門督
(
うえもんのかみ
)
信頼
(
のぶより
)
ごときを、総大将といただいたことですが、それとて、悔やんでも及ばぬこと、このうえは、身を山林に潜め、時節を待って、今日の
辱
(
はじ
)
をそそぐしかありますまい。── 死すべき時は、今ではありません」
かれらは、口をそろえて、討死の非をいさめ、義朝父子の馬を囲み合って、先に一団、後ろに一群、たがいに呼び合いながら落ちて行った。
のちろん、平家方では、
「のがさじ ──」 と、追撃して来る。
先へ駆けまわって、退き口に立ちふさがろうとする敏速な敵勢もある。
蹴散
(
けち
)
らしては駆け通り、反転して、一撃を加えて落ちてゆく。── それが繰り返されるまに、初め五十騎ほどだったものが、七騎減り、十騎減り、またなん騎か、はぐれたりして、やがて加茂上流の人の足跡もない雪ばかりの山里へ来て、ほっと、
顧
(
かえり
)
みあったときは、義朝父子をいれて、十四名しかいなかった。
「あわれ、
首藤
(
すどう
)
刑部
(
ぎょうぶ
)
も、討死したか。佐々木源三、平賀
義信
(
よしのぶ
)
も、果てたか、落ちのびたか。井沢四郎の姿も見えぬよ」
義朝は口走った。自責から出る
肺腑
(
はいふ
)
の声であった。それらの武将も武将だが、敗残の苦痛と暗い運命を将来に負わせて、飢えの山野や
市
(
いち
)
の中へ、無数に散らした兵の身の上と、兵ひとりひとりにつながる哀れな家族たちまでを考えると、
断腸
(
だんちょう
)
の思いを抱かずにはいられなかった。
そういうつながりは、かれ自身にもある。
六条の館にも。
また、柳ノ水附近に住居を持たせてある愛人の
常磐
(
ときわ
)
と、彼女の乳ぶさやひざのまわりにも。
六条屋敷の方は、思慮のある郎党をして、あと始末をいいつけてある。
「・・・・が、常磐や、あの幼い者たちは?」
義朝は
一抹
(
いちまつ
)
の気がかりだった。 「はやく、身のまわりを始末して、洛外の知るべを頼って落ちて行け」 とは、戦前にいいきかせておいたことだが、夫なる自分に心をひかれて、都の内を去りたがらずにいた彼女が、果たして、今日の前に、田舎へ立ち退いてくれたかどうか。
身一つならばまだしも、彼女のふところには、今年生まれたばかりの乳飲み児がある。
あと四つと六つになるのも、
悪戯
(
わるさ
)
ざかりの男の子だ。どんなに、母を困らせていることだろう。その足手まといを身に抱え、また、今日は源氏の敗北を聞いて、
茫然
(
ぼうぜん
)
と泣き悲しんでいる
常磐
(
ときわ
)
の姿が、義朝の
瞼
(
まぶた
)
に見える気がしていた。
馬も疲れたか、山地へかかると、雪にさえつまずきがちだった。義朝は、
駒
(
こま
)
を止めて、遠くを眺めた。
洛内の搭の
尖
(
さき
)
だの家々の屋根も銀一色の下である。数条の火光と
黒煙
(
くろけむり
)
が、あちこちから立ちのぼっていた。それは夜空となるにつれ
八瀬
(
やせ
)
の山路からも近々と見えた。
『新・平家物語(三)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ