〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-T』 〜 〜
2012/04/05 (木) 雪 の あ と (一)
平治の合戦は、その激しさ、保元の乱の比ではない。
三年前のそれは、朝廷と院と、あるいは貴族と貴族との、戦いであった。武家自体は、飼われた門に
拠
(
よ
)
って、心ならずも、父子兄弟や
叔父
(
おじ
)
甥
(
おい
)
も、敵味方に分かれ、源平の両党も、入り交じって対陣した。
しかし、今度は違う。
源平二氏は、画然と、各々の旗の下に対立した。例外は、兵庫頭頼政だけにすぎない。
また動機も、信頼と一味の若公卿は、口火役に躍っただけで、爆発したものは、源平二系統の軍部と軍部の
争覇
(
そうは
)
であった。
朝廷と院の二つに、政権もあり、軍もおかれ、しかもその兵は、源平二党の混成であったうえに、久しい末期的世相を上下とも描いた来て、今日、この戦乱が起こらなかったらむしろ、ふしぎと言ってよい。
およそ古今、地上のどこでも、一国に
統帥
(
とうすい
)
を
異
(
こと
)
にする軍部が二つ存在する場合は、かならず、あつれきし、かならずその国の乱になる。
なおのこと、軍は純一な愛と倫理の上に立つのでなければ、兵器はいつでも凶器に化し、武は変じて、暴徒に化しやすい。
武が愛するもの、守るもの、信奉するもの。── それがその国の倫理として、一元的に愛護され合おう場合のみ、武の使命とする平和は守られてゆくであろう。ある一つの権門だのまた、べつな
摂関家
(
せっかんけ
)
の門だのに、初めから番犬的におかれた武者所がこのように
豹変
(
ひょうへん
)
して来たのは、不自然な
発程
(
はつてい
)
ではない。
それを歴代の為政者は、深くも思わなかった。いたずらに門に兵を飼って、保元、平治の乱をみずから招いた。自衛の持った武力のために、藤原氏自体が、いまは発言権も失い、戦火の中を逃げまわらなければならなかった。── それが、今日の戦いだった。平治に合戦なのである。朝廷も院も制止する力すらないのだ。公卿百官もこうなっては、一兵の用にも足りはしない。
実相は、ただ武門と武門とのたおしあいだ。源平、食うか食われるかの一日である。
もちろんかれらの愛するものは一つではない。かれらの守るもの、仕えるもの、それも真二つに分かれた。同じ地上に生まれながら同じ地に生きず、一つ太陽に生かされながら
倶
(
とも
)
に天をいだかずとする悲しい
宿業
(
しゅくごう
)
を、次代の幼い者へまで、この一戦は、約してしまった。
従って、戦闘の様相は、猛烈を極め、時間としては、その日の午前から午後にわたる短い間にすぎなかったが、激戦また激戦がくり返され、
悽愴
(
せいそう
)
、言語に絶するものがあった。
清盛も自身、指揮におどり出し、
西廊
(
にしろう
)
の角に立って、督戦した。
妻戸
(
つまど
)
や
蔀
(
しとみ
)
にまで、敵の矢がバラバラ立つ。── そして一時は、源氏の武者声ばかりが、津波のように、屋敷の周囲に
吠
(
ほ
)
えかかり、清盛の耳をふさいだ。
「もう、だめか、ここも、さいごか」
清盛すら、何度も、観念しかけた。身の危険などは忘れていた。中門に押されて、
怯
(
お
)
じ怖れている味方を、どなりつけて、二階門の南の
台
(
うてな
)
(楼台)
へ登った。
四方に
楯
(
たて
)
をかこんだ
櫓
(
やぐら
)
の上から、清盛は半身を現していた。そこでまた声をからして、味方を
叱咤
(
しった
)
したり、弓を
把
(
と
)
って、ほかの
武者輩
(
むしゃばら
)
とともに、ぶんぶんと矢を放っていた。
『新・平家物語(三)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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