信頼は、なおまだ紫宸殿を出ないので、馬上の義朝が、日華門の方からどなっていた。 「諸門とも、はや合戦は急ですぞ。大将軍といえ、大殿深
く床几 をすえていてどうしますか。六戸一
の奥州の黒駒 が啼
いていあるではありませんか」 信頼は、そう励まされて、急に、南階の下へ、馬をひかせた。けれど百雷の震うにも似た敵味方の鬨
の声に、かれはとたんに、蒼白
な顔をしてしまった。ひざぶしをわくわくさせ、舎人
や侍たちに、鞍 の上へ、押し上げられて、取りついたが、馬の背を越え過ぎて、向こう側へ、落馬してしまった。 落馬したはずみに、したたか鼻をこすって、鼻血を出した。それを拭
き拭 き、やっと馬に乗った姿を見て、 「やれ、おかしとも、あわれとも。・・・・まだ一人の敵にも会わぬまに」 舎人や侍たちさえ、クスクス失笑したくらいだから、はるかに見ていた義朝の気持は想像するに難くない。 「あな不覚人
よ。見苦しいことにみ見るわ。その不覚人と大事をともにした自分もまたかれにまさる大不覚人というべきか」 おそらくは、臍
を噛 むの自嘲
と、肚の底からにじみ出る悔いの苦
さに堪えなかったものであろう。つと、馬首を向け変えて、味方の中へ駆けてしまった。 信頼は、侍大勢にまわりを取り巻かせ、ほかの公卿
輩 も連れて、待賢門
の陣地へ、出て行った。 ここを攻めていたのは、重盛の手勢、五百騎であった。 重盛は、門のうちの遠くに、大将らしい一団の甲冑
が、まんまると楯 を並べて、指揮に当たり始めたのを見、 「よい敵こそ」 と、旗下
七、八騎と一つになって、いきなり敵の中へ駆け込んだ。 「太宰
大弐 の嫡子、重盛。生年二十二。──大将軍信頼卿に、一矢、まいらせん」 呼ばわりながら、一気に、馬を跳
ばして来た。 信頼は、仰天して、 「あれ防げ、侍ども」 と、敵への答えもせず、逃げてゆく。 「きたなし、返させ給え」 と、重盛はなお追って、大庭の椋
の木あたりまで駆けたが、その迅
さに、前に立つ敵も、あとに続く敵もない。 けれど、待賢門の下では、 「若殿を、討たすな」 と、一せいに混み入る平軍と、迎え撃つ源軍との間に、烈しい白兵戦が起こっていた。 重盛の手勢は、ここに五百騎と、大宮表に五百騎と、二段に、陣をしいていた。いま待賢門の味方が、そこを突破して、内裏へなだれ入ったのを見ると、二陣も、続いて、 「攻め口をゆずるな。ここは破れたぞ」 と、喚
き喚き、攻めこんだ。 たしかに、ここはもろかった。一門の敗れは、他の門の破れを意味する。義朝は、郁芳門
の防ぎに立ちながら、伝令をうけた。ここへの寄手は、清盛の異母弟、三河守頼盛であった。自分が去れば、ここがあぶない。義朝は、自陣を見まわして、 「源太源太。源太はなきか」 と、呼びたてた。 「父上、何事ですか」 駆け寄る義平
を見て、義朝は、 「待賢門が破られたというぞ。── ここは父が持つ。そちは、臆病者
の信頼卿に代 われ。六波羅勢を、門の内から追い払え」 「はいっ。承
りました」 「たれぞ、そこらの者、二十騎ほど、源太について行け」 義朝の言葉に、鎌田
兵衛 、三浦荒次郎、須藤刑部、佐々木源三、斉藤実盛、熊谷次郎、金子十郎、足立右馬充
など十七騎が、轡 を並べて、義平のあとを、また駆けた。 騎馬戦になると、坂東武者の独壇場といってよい。他地方のいかなる将士も及ばない。ましてや平家方の京兵は、多勢でそれに当たっても、みるまに、馬蹄
に蹴 ちらされてしまう。 義平は、小柄
な男で、わけて、騎乗に巧みだった。ゆえに、かれの好むところは、矢交
ぜでなく、白兵戦だ。一騎一騎との打ち物の戦いにある。 「あれこそ、大弐の子、重盛よな」 かれは、見つけた。── 年ばえは、自分より少し上らしい。 赤地錦のひたたれに、蝶
の裾金具 のついた良い鎧
を着、龍頭 の兜
をいただき、柳桜
を貝で散りばめた鞍 をおいて、栗毛
の馬に乗っている。そして、重籐
の弓に矢をつがえては、ここを防いでいた須藤俊綱や、その他の源氏を、さんざんに射悩ませているのである。 「なんとかして、あの敵に」 と、義平は心がけたが、平家の侍たちに、立ちふさがれて、なかなかかれに近づき得ない。
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