〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/03/26 (月) 暗 黒 宮 (二) 

天皇を黒戸御所へ。上皇を、一本いっぽんの 御書所ごしょどころ の内へ。常識では考えられない暴挙である。
いったい、どういう目的と利を策して、こんな思い切った非常手段をあえてとったものか、後の史家も 「ソノ主意、那辺ニアルヤ、解釈ニ苦シムノミ」 といっている。
信頼としては、信西入道しんぜいにゅうどう こそ、恨みも殺意も持っていたろうが、後白河をにく み奉る理由はすこしもない。いやかれでも、惟方これかた 、経宗にしても、人いちばい天皇と上皇の恩寵おんちょう を受けていたやから である。
── それが?
という程度の推理では解けそうもない。分らないとする頭は、尋常の情理で推すからである。そんな場合の常識には当てはまらない。
一夜に国家の擾乱じょうらん を計って、朝権を握ろうとするような不逞ふてい を行動を起こす場合、わけて、小人輩しょうじんはい の暴挙だと、必ずそのやり口に、やり過ぎや、齟齬そご や、逸脱いつだつ がある。自信として正しい計画によれないで、頭脳だけが飛躍し過ぎてしまうのである。
おそらく、一味の考え方は、こうだったのではあるまいか。
なによりは、真っ先に、朝廷を圧して、その大権をおさえてしまおう。
天皇、上皇のおからだは、絶対に自陣のうちに持つことが必要だ。そのためには、どう御意志を拘束しても、一時、幽閉し奉ることも、やむを得ない。
かつは、信西、清盛などと対戦のばあいには、綸旨りんじ院宣いんぜん をいただいて、かれらを朝賊となすことが出来、皇居のかきたて として、かれらの弓箭きゅうせん をにぶらすという作戦も不可能でない。
等々々、小人の小智らしい機略が、五条の鼻の家の奥で、密議された結果であろう。
信頼や、惟方、経宗などの考えそうなことである。かれらは、帝寵ていちょう れ過ぎていたし、また、禁裡きんり の奥深い場所などにも精通していた。その点からも、これが義朝の知恵でなかったことだけは明らかである。義朝としては、もう乗りかけた船、そして、坐して平家の隆運を見、後に、信西と清盛の制圧下に自滅の憂き目に会うよりはと、べつな覚悟をもって臨んだことにちがいない。
いずれにしても、この一味は、信西の勢力と清盛の兵力を過大に強敵視していたらしい。それをたおして完全な勝利を得るためにはと、手段を選ばない挙に出たものと思われる。
i一方 ── あのあとの、三条烏丸の焼き討ちと、殺戮さつりく ぶりを見ても、その異常には、ただごとでないものがある。それは単なる作戦でも戦闘でもない。総帥者そうすいしゃ の頭脳の突飛な思いつきを、そのまま無軌道にやってのけたに過ぎない修羅しゅら を現出している。
信頼、義朝、その他が、一本いっぽんの 御書所ごしょどころ から再び馬をそろえて引っ返して来ると、はや三条烏丸は、炎々と、火の海であった。
烏丸から皇居待賢門までの大路も、また夜空も、赤々と火光に染まり、煙雲の間から不気味なほど青い星が、火の粉にまじって、明滅している。
狂せるような徒歩かち 武者むしゃ 二、三十人が彼方から疾走して来た。信頼の馬が首を上げて狂った。ほこ長柄ながえ の光に驚いたのであろう。信頼は はず れに、うろたえ出した。
「や、や、敵ではないのか。平家か源氏か」
義朝がうしろで笑った。
「味方でしょう。たとえ敵勢であろうと、驚くにはあたりません」
駆け寄って来たその一群の者は、やはり味方の武者だった。信頼、義朝たちの姿を見ると、喊声かんせい を上げて、口々に三条方面の戦況を伝え、
「院の近習、大江おおえの 家仲いえなか右衛門尉うえもんのじょう たいらの 康忠やすただ の二人を、たった今、烏丸の東の辻で、かくの通り討ち取りました」
と、太刀の先にさした二つの首を大将の見参にそなえた。
信頼はやはり公卿である。さすが正視にたえなかった。そこで「義朝が、代わって、
「よし、待賢門の前へ行って、それをかざ し、高らかに、勝鬨かちどき を叫べ。討たれたるは平家のたれ、討ったるは源氏のたれと、繰り返して呼ばわるかいい」
と、命令した。それも宮門への威嚇いかく になることは間違いない。
後ろの喊声を聞き捨てて信頼、義朝たち騎馬の一団は、また朱雀を西へ駆けていた。
そして今し院中の阿鼻あび 叫喚きょうかん をくるんで燃えさか っている烏丸の一角まで取って返して来た。── このころでも時刻はまだ丑満うしみつ (午前二時) にはなっていなかった。驚くべき迅速さではあった。

『新・平家物語(二)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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