三位経宗は、きょうも、権中納言信頼
を深草の別荘に訪ねていた。二人の交友は人も知るところだが、それにしても、余りに往訪が頻繁
なので、表向きは、 (蹴鞠
の教授に ──) と、いうことになっている。 侍従
成通 という斯界
の名人が隠棲 した後は、たしかに、夕顔
の三位あたりも上手にうちに違いなかった。けれど、かれの世才や社交の方が、蹴鞠の技術よりは、数段上だという人もあり、心ある者は、 (夕顔殿のマリになるな) と、ささやいた。 保元の乱にあたって、かれの余りに抜け目のない表裏を覚えている者が、その時の宇治殿や悪左府みたいに、かれのマリにされて、弄
ばれるな、という警戒の意味である。 だが、かれにはいつも、格別にかれを信用する者が、ふしぎに、つぎつぎと、かれの前にあった。 鞠のお相手では、後白河上皇にも、寵遇
されているし、二条天皇の覚えもよい。また朋友としては、権中納言信頼こそ、たれよりも、かれの人間を、高く買っていた。不平も秘密も、信頼は、かれに隠していなかった。 「なあ、夕顔殿。──
どうしたのであろう、伏見殿や越後殿は」 「もう見えましょう。来ないはずはありません。ただお互い、人目に用心していますから、わざと、時刻をたがえて、思い思いに来るのでしょう。・・・・が、あなたから御連絡の惟方
殿の方は?」 「あの叔父
も、夜には、必ず参会するというていた。昼は、何せい、検非違使
ノ別当 (長官)
という、要職にある身なので」 「では、もう一刻
ほど、おけいこでもいたしましょうか」 いや、鞠も、疲れた・・・・。疲れては、あとの大事な談合のとき、頭が粗雑になっていけない」 二人は、さっきから、庭園の鞠の懸
(競技場) へ入っていた。そして鞠沓
から蹴 あげる快い音
を、冬日の空にはずませていたが、そのうちに、懸りの木の下の床几
に身を休めて、いつもの密談になっていた。 蹴鞠のけいことか、和歌の集いとか、その折々の名目は、世間への偽装に過ぎない。この深草の亭に出入りする若公卿の間には、ある密約が結ばれていた。 (ここ両三年の、少納言信西の独断と越権ぶりこそ奇怪なれ。今のまに禍
いを除かねば、将来、抜くべからざるものとなろう。また信西が虎威
は、大弐清盛の武力を恃
むところに基づく。両者は一体なのだ。われらとて、結束をかため、いつか両奸
をたおす計りを持たねばならん) 寄り寄り、語らっていたのである。そしていつか大それた陰謀図が、信頼を中心に描かれていた。 始の相談では、大事の決行はなお一、二年先という目企
みであった。ところが、この十一月下旬になって、六波羅の大弐清盛が、、熊野へ参詣
に立つといううわさが入った。 (清盛が都を留守にする日こそ、大事を遂げるに、またとない機会だ。この先、一年二年待っても、再び、かかるおりがあろうとは思えない。まさに天の与うるもの
──) と、かれらは色めき出したのである。 きのうも会い、きょうも会い、ここ深草の亭に、謀議をこらしている信頼よ経宗だった。いや、その他、与類の輩
も、しきりにここへ往来していた。 |