〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/03/24 (土) ふか くさ ぼう (一)

三位経宗は、きょうも、権中納言信頼のぶより を深草の別荘に訪ねていた。二人の交友は人も知るところだが、それにしても、余りに往訪が頻繁ひんぱん なので、表向きは、
蹴鞠けまり の教授に ──)
と、いうことになっている。
侍従じじゅうの 成通なりみち という斯界しかい の名人が隠棲いんせい した後は、たしかに、夕顔ゆうがお の三位あたりも上手にうちに違いなかった。けれど、かれの世才や社交の方が、蹴鞠の技術よりは、数段上だという人もあり、心ある者は、
(夕顔殿のマリになるな)
と、ささやいた。
保元の乱にあたって、かれの余りに抜け目のない表裏を覚えている者が、その時の宇治殿や悪左府みたいに、かれのマリにされて、もてあそ ばれるな、という警戒の意味である。
だが、かれにはいつも、格別にかれを信用する者が、ふしぎに、つぎつぎと、かれの前にあった。
鞠のお相手では、後白河上皇にも、寵遇ちょうぐう されているし、二条天皇の覚えもよい。また朋友としては、権中納言信頼こそ、たれよりも、かれの人間を、高く買っていた。不平も秘密も、信頼は、かれに隠していなかった。
「なあ、夕顔殿。── どうしたのであろう、伏見殿や越後殿は」
「もう見えましょう。来ないはずはありません。ただお互い、人目に用心していますから、わざと、時刻をたがえて、思い思いに来るのでしょう。・・・・が、あなたから御連絡の惟方これかた 殿の方は?」
「あの叔父おじ も、夜には、必ず参会するというていた。昼は、何せい、検非違使けびいし別当べっとう (長官) という、要職にある身なので」
「では、もう一刻ひととき ほど、おけいこでもいたしましょうか」
いや、鞠も、疲れた・・・・。疲れては、あとの大事な談合のとき、頭が粗雑になっていけない」
二人は、さっきから、庭園の鞠のかかり (競技場) へ入っていた。そして鞠沓まりぐつ から あげる快い を、冬日の空にはずませていたが、そのうちに、懸りの木の下の床几しょうぎ に身を休めて、いつもの密談になっていた。
蹴鞠のけいことか、和歌の集いとか、その折々の名目は、世間への偽装に過ぎない。この深草の亭に出入りする若公卿の間には、ある密約が結ばれていた。
(ここ両三年の、少納言信西の独断と越権ぶりこそ奇怪なれ。今のまにわざわ いを除かねば、将来、抜くべからざるものとなろう。また信西が虎威こい は、大弐清盛の武力をたの むところに基づく。両者は一体なのだ。われらとて、結束をかため、いつか両奸りょうかん をたおす計りを持たねばならん)
寄り寄り、語らっていたのである。そしていつか大それた陰謀図が、信頼を中心に描かれていた。
始の相談では、大事の決行はなお一、二年先という目企もくろ みであった。ところが、この十一月下旬になって、六波羅の大弐清盛が、、熊野へ参詣さんけい に立つといううわさが入った。
(清盛が都を留守にする日こそ、大事を遂げるに、またとない機会だ。この先、一年二年待っても、再び、かかるおりがあろうとは思えない。まさに天の与うるもの ──)
と、かれらは色めき出したのである。
きのうも会い、きょうも会い、ここ深草の亭に、謀議をこらしている信頼よ経宗だった。いや、その他、与類のともがら も、しきりにここへ往来していた。

『新・平家物語(二)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ
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