賀茂の糺
の森に、迎えの輿 が、待っていた。 為義は、その夕暮れ、輿のまま、義朝の屋敷の門へ入った。 わが子の家でもあるが、また、敵将の陣中でもある。 ひそやかな一殿に、為義の身は、そっと、運ばれた。侍
きの女房が、三人つき、風呂
、髪のこと、衣服の世話、また、薬餌
、食物の気配りまで、手の届かないところはない。 熟睡した。蚊にも食われず、野獣にも脅かされず。── やはりわが子の家であったよと、あくる朝の陽ざしに思う。 昼。──
人を遠ざけて、為義と義朝は、父子二人きりで、初めて会った。 初めて ── というのもおかしい。別れて、半月ほどしかまだ過ぎていないのだ。── しかし、実に、相見ざること十年も経ったように、感じたのである。 「・・・・・・」 為義も、涙に暮れ、義朝も涙に暮れた。言うべき言葉が、二人とも、見つからない。 骨肉とは、不思議な感情のものである。憎しみあえば、きりもなく憎く、とても他人の比ではない。いかに強悪な他人を呪
う憎念でも、肉親の間に結ばれた宿怨
ほどではない。他人であって他人でない、何かが、自分に交じっている証拠であろう。自分で自分を厭
うのか。愛するがための反動なのか。わからない程、盲目にまで組み打ってしまいやすい。── だから、骨肉相
食 むの惨劇は、獣人時代の原始本能を、まだ人間が忘れきれないでいるままに、ときおり、突兀
と演じ出す、恐ろしい遺習といえないこともない。 けれど、また、一つに寄って、涙を見合えば、他愛もなく、もとの一つに結ばれてしまう。涙の一滴は、隔てられた中の、氷河も解く。 「・・・・父上、お許し下さい。お心に背
いた罪を」 「罪をとか・・・・義朝よ。この父こそ、大逆の名をうけた朝廷の科人
。父として、お身に臨む資格もない。降参人として、扱うてくれい」 「身を裂かれまする。・・・・そう、仰せられては」 「いやいや、為義は、年も年。覚悟はしておる。ただ頼むは、頼賢、頼仲、為成などの、弟どもだ。──
また、罪もない女どもや、幼子
たちだ。為義が、身に代えて、助けて給われ」 「なんの、わたくしの軍功に代えても、お父上の御助命の儀は」 「けれど、朝廷にも、人は多く、人の心はさまざま。お身まで、誤られてくれるな。──
とまれ、お身は源家の嫡男、お身さえ立ってくれれば、家名は絶えぬ」 あくまで、無理はしてくれるなと、為義は、この期
にもなお、親心を、捨てきれない。── 戦
に、先だって、家重代の “源太産衣” を、ひそかに、送り届けさせたときの心と、変ってはいない。 義朝は、その夜、牛車の内に隠れて、少納言信西を、その館に訪
ねた。 会われなかった。信西は、ここ多忙を極めていて、おそらく、今夜も、宮中にお泊りでしょう。── と家人
は言う。 次の夜、また、訪れた。 幸いに、信西入道はいたが、義朝の嘆願のすじを聞くと、 「なに、為義の助命を取りなしてほしいと?。・・・・さような大事は、信西の一存では成らぬことだし、ことに、私邸で聞くのは、はなはだ迷惑する。よろしく、朝
に出て、諸卿に訴え給え」 と、まったく、にべもない返辞である。 もっとも、それより数日前に、 (清盛は、叔父忠正の首を、斬って出した。御辺も、一日も早く、忠誠を証
し立てられよ) と、暗に、督励していた信西である。この人にすがるのは、いたずらに、怒りを求めるものかも知れない。 だが、義朝は、あきらめなかった。 中院
中将雅定 こそ、情けある人と聞いている。右大臣をも勤め、人も心服し、新帝後白河の御信任も篤いと聞いている。 雅定の私邸を訪れ、一夜、義朝は、自分の苦しい気持を聞いてもらった。雅定は、西行などとも交わっている歌人で、そのころの艸子
にも 「あはれありがたき人がら・・・・」 と書かれているような温情家だった。 「さあ、お心は、よく分りますが、何しろ、世上のけわしい動き方が、そのまま、宮中の様相にも現れているような時ですから、おん許の、切なる御嘆願が、閣議の容
れるところとなるや否や、自分にも、ひきうけ切れぬが、とにかく、骨を折ってみましょう。── 自分も、ともに、主上におすがりして」 と、雅定は、こころよく、肯
いてくれた。 |