一天の夕立雲に、陽
時計 の投影も、見ることが出来ない。 さっきから、余りな忠正の形相と呪いに、刑には慣
れているはずの庁の下官や下部たちも、肌
をそそけさせて立ちすくんでいたが、ポツーと、顔に痛いほどの雨つぶを感じると、一せいにいいあった。 「申
ノ刻です。播磨どの。もはや、申ノ刻を過ぎましょう」 「おおっ」 清盛は、夢中で言った。強弓を張るような意力で腰を立てた。 かれが立つと、忠正の眼も、上へつり上がった。かれが、、横に歩むと、忠正の眼も、横に動いた。 「時忠っ。太刀を、執
れっ」 「よいのですか」 時忠も、いつになく、二の足をふんでいた。しかし、ただちに、陣刀を引き抜き、 (・・・・どれから?) と、いうような眼をして、清盛の真っ青な顔に、眼でたずねた。 「──
端から」 指さされた時、長盛の顔が、とたんに、きっと、清盛を振り向いた。清盛は、思わず、眼をそらして、 「早くしろ。時忠、怯
むか」 と、なじった。 「なんの!」 声の下に、異様な音が、人びとの耳を打った。血と刀のうなりが一つの震音を空間に起こしたものであった。それは濡れ雑巾
でもたたきつけたように聞こえた。 「わっ。長盛っ。果てたか」 忠正のいる所から、こう叫びが走った時には、もう、端から、その次の座に、また同じ血響きが、起こっていた。 「・・・・忠綱よっ。忠綱っ」 雷鳴は、すぐ頭上に来ていた。 雲の上でする声か、地上のものか、けじめがつかない。 親の忠正の絶叫が、邪魔になって、太刀取りの時忠は、三人目を斬りそこねた。 ──
と思うと、時忠は、自己の魂を、取り落としたように、突然、うつろな顔つきに変じて、ウロウロ、地上を見まわし始めた。 「おいっ、どうした。時忠っ、何をいたしておるか」 「水を・・・・水を一杯飲んでから致します。急に目眩
いてきて、妙に、その・・・・手もとが定かにつきませぬゆえ」 「血に酔うたな。意気地のないっ・・・・よしっ、おれがする」 清盛は、癇癪
を起こして、大股 に、何歩か歩き、忠正の横に立った。 忠正が、仰向いている。 清盛は、それを、平然と、眼下にした。 平常の感情の限界を、かれの感情は、駆け抜けていた。 そこまで突き抜けてみると、白々
と冷たい虚無の空間しか見まわせなかった。狂人のつねに住む世界に似ている。頭のしんも、じいんと冷たい。いやその冷たさは、熱度の極に達している無知覚と同じものかも知れなかった。そして、清盛はその頭に中で、さっきまでとは別人のように笑って、忠正を見下ろしていられる自分を、ふしぎともせず、支えていた。手に、白刃を、ひっさげて
──。 「右馬助どの。もう何か、仰りたいことはないのか。お首は、清盛が、仕
ろう」 「ふム。・・・・やれるなら、やれ」 昂然
と、忠正は、いい払った。 頸
を、さし伸ばすのが法である。が、かれは、反対に、胸をそらした。まだ、斬るなと、断っている態度ともいえる。 「虫が好かぬとは、争われないものだ。そもそも、まだ稚児立
ちのころから、何となく、気にくわぬ平太清盛であったぞよ。思えば、こういう宿命であったのか」 「そうでしょう。清盛も、若年から今日まで、およそ、あなた程、きらいな人間は世になかった」 「雪と墨ほど、性の合わない叔父
甥 であったのだろう。おれは敗れた。片腹いたいその甥小僧の手にかかって死ぬ。無念というも、なお足りぬ」 「悟られたか。これが戦
だ」 「いや、輪廻
だ ── 次には、平太、汝の番だぞ」 「お待ち下さらなくてもよい。さ・・・・御用意は」 「急ぐな。もう一言、いい遺しておくことがある。平太平太」 「なんだ、何をまだ」 「さすがに、なんじは、よう似たぞ。悪僧の血は、あらそえぬ」 「な、なに。似たとは、たれに」 「父親にだ」 「たれに似ようが、似まいが、おれの親は、忠盛どののほかにはない」 「いや、ある。わしは兄の後家、祗園女御から、懺悔
を聞いた。 ── なんじは兄忠盛子でもなく、いわんや、白河の君の御子でもない。まことは、女御が密夫
の八坂の悪僧が胤 だということを」 「や、やかましい。くたばれえっ」 清盛はいきなり、太刀を後ろへ引いた。まだ喋
っていた忠正の首の根を、びゆっと、すくい打ちに、白い光が通り抜けた。 |