「・・・・・」 朱
に染んだまま、清盛は、だらんと、太刀をぶらさげていた。茫然
と、いつまでも、突っ立っている。 チカチカと眸
の底を、稲妻が、走った。雷が、鳴っている。おどろおどろ、晦冥
が、はためく。かれの自失を、足の裏から、ズンズン、と何かが震
り上げてくる。 「ばかっ、ばかっ」 「気狂いっ。獣っ」 「人でなしめ」 「畜生よ」 これは、雷鳴とはちがう。あきらかに、庶民の感情だ。群衆の声だ。──声とともに小石の雨が、清盛のまわりに、ばらばらと飛んで来た。 「・・・・・」 清盛は、避けもしない。石は、やたらにかれに当たった。具足は着ているが、顔や手先に血をにじみ出した。 群衆の怒号は、騒
めきをたかめるほど、意味も聞きとれなかった。だが要は、清盛が、叔父手をかけ、叔父の子三人までも、並べて討ったことを憤慨したものらしい。世に見たくない光景を見てしまった不快さに、憎悪を燃やして、ののしり沸いているのだった。 しかし、清盛の郎党たちは、当然、身を飛ばして、八方の群集へ、刃を向けて行った。そのため、群集は一ときの狂奔を示しただけで、わっと、蜘蛛
の子のように、逃げ散ってしまった。しかし清盛はなお茫然
と、四つの死骸
のそばに、棒立ちになっていた。 その姿へ、沛然
と、まっ白な夕立が、降りそそいで来た。 東山の塔を、斜めに裂いた青白い電光
りの中に、かれの影は、なおまだ、もとのままに見えた。太刀をぶらさげ、全身を雨に打たせながら立っていた。 「殿。・・・・殿っ」 「靫負庁
の役人たちは、みな帰りました」 「見物どもの影も、はや、一人とて、見えもしません」 「つつがなく、お役儀は、果たされましたものを」 「いざ、お帰りを」 郎党たちは、かれのまわりに、うろたえを集めて、しきりに帰館をうながした。清盛は、ようやく、堤の上へと歩いた。そして、狂雨一過の霽
れ間を見上げて、しばらく、口のうちで念仏をとなえていたが、 「時忠、時忠」 と、静かに、呼んだ。 それは、平調な声音
で、つねのかれと、変わるところはなかった。郎党たちも、時忠も、ほっと、眉
をひらいた。おりふし、空には、夕虹
がかかった。悪夢からさめた思いを一つに、時忠たちは、駒
をひいて、清盛の前に、並んだ。 清盛は、馬の口輪を、引き寄せながら、時忠をかえりみて、こう言い残した。 「おまえと郎党五、六人は、あとに残れ。四人の亡骸
を、ていねいに、鳥
辺野
の火舎
へ、運ばせるのだ。おれも、やしきで通夜をしよう。葬
いのこと、そっと、頼むぞ」
少納言信西は、待っていた忠正の首を、その夜に見た。 右少弁惟方
の下官が、六条河原から、すぐこれへもたらして来た四つの首桶
を、庁の燈火の下にならべて、 「よろしい」 と、言った。 そして、六条河原での忠正の最期
の状や、清盛の容子
だの、その手間取り方を、仔細
に下官から聞くと、 「あはははは。さようか。人まさに死なんとするやその言
善
しというが、そうばかりでもない忠正のように、妄執
を毒づいて逝
く往生際
の悪い者も、まれにはある。さてさて、播磨守は小心者よの。──
あれでよく、過ぐる日の合戦に、白河北殿の門へ、寄せられたものだ」 と、愉快そうに、ひざを打って、大いに笑った。 ── 次の日である。 信西は、高松の一室に、こんどは、源義朝を招いていた。そして、いつもの低い声で、
「左馬頭どの。播磨どのには、昨夜、叔父忠正の首を打って、さし出されておらるるぞ。忠誠明白、感服にたえぬ。・・・・時に、新院方の謀反
人
としては、忠正よりも重職にあり、かつは子息六人も「具して、大将軍の采配
を取った六条為義の行方は、その後、どう詮議
しておられるか」 と、たずねた。 ことばは、ものやわらかく、懇ろである。──
が、義朝の胸には、ぐざと、矢が立ったような思いが煮えた。さっと、顔の色も失った。 「はい。鋭意、諸方を探し求めてはおりますが・・・・。何ぶんにも、まだ、手がかりが、ございませんので」 「合戦に続く、追捕の御苦労、朝
においても、お察しはしておるがな」 「なおなお、草の根をわけても、かならず、召し捕らえはいたしますが」 「・・・・が、とは?」 義朝は、面伏
せだった。入道は、うわ眼づかいに、ぬすみ見ながら、 「せっかくの御軍功も、匂
わしいところ。ぜひ、もう一倍、努められい。──
ひとり、播磨守のみに、誇らしめず、一日も早く、御辺の忠誠も、事実をもって、朝
にお証
しあるようにの」 信西の肚
は問うまでもない。清盛が、叔父にしたように、義朝にも、せよというのである。父為義を捕らえて、その首を差し出せという慫慂
なのだ。どうして、平静でいられよう。 その朝、義朝は、戦後初めて、疎開先の田舎から都へ戻って来た常盤
の家で、彼女の無事や、幼子
たちの、顔を見てやる約束になっていた。心は暗く、足も重い。まったく、気のすすまない日ではあった。けれど、つかの間でもと、道をまわって、その帰り途
、常盤の門
に、駒をつないだ。
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