安楽寿院も、洛外鳥羽の里だし、田中殿も同じ里の離宮の一部である。 眼と鼻の先の、大きな屋根と屋根の下に、かくて、無言の敵視と、猜疑が、むすぼれ出した。 不安に満ちた一日一日であった。対峙
のままの門と門とが、動揺をかくした動揺が、夜となく昼となく、反応し合った。法皇の七日忌までは、新帝後白河も、美福院も、また関白忠通以下の重臣も、ここを出ることは出来なかった。
── というよりも、危険だとされていた。 昼もだが、 夜に入ると、お互いの門から、無遠慮な放免
(密偵) どもが放たれて、あらゆる間隙
や偽装をこらし、相互の内部へ入り込もうと試みる。 いちどなどは、美福門院の御便殿にあてられている一棟
のすぐ裏築土の際にある大きな榛
の木のこずえに、木菟
のように屈 まっている曲者があると、女房たちがおののき騒いだことから、それとばかり、表の武者たちが駆けつけて、巨木の下を取り囲み、七張の弓をそろえて射落としてみたところが、それは金堂
の若僧が、宵ごとに、女房たちのお湯殿のぞきをやっていたものよ分って、腹立たしくもあり、おかしくもあり、その夜からは榛の木にまで見張りの武者を付けるような有様であった。 「これでは、手薄です。御守護すら心もとない。なんとかしなければなりますまい」 少納言信西は、忠通へ、献言した。 「──
こんなおりこそ、日ごろ、旧院が養いおかれた武家どもへ、急ぎ綸旨
をつかわされて、もっと、頼みがいある軍勢を、お召しになるべきではありませぬか」 「・・・・うム。そうもせねば、なるまいか」 忠通は、関白として
── ことには、新院を擁して、謀反
をたくむといわれている者が、弟の頼長である責任からも ── だれよりも先に、心をくだいて見せねばならぬところだが、施すすべもないように、茫然
と、終日、行儀をくずさずにいるだけだった。 「信西どの。武家では、たれとたれへ、命
を下したらよいかの」 「いや、その人選なれば、法皇御崩御のまえに、すでに、認
めおかれた御遺誡 があるのです」 「そのような故院
の御遺言があるとは、まだ承知せぬが」 「たしかに、ありまする」 「いつ。だれが、それを・・・・?」 「御生前に、左大将公教
と、藤宰相
光頼の両卿にあずけられ、崩御の後は、右少弁惟方
が、かたくお持ちしております。じつは七日の御忌
に、女院にお目にかけるはずでしたが、武家への綸旨を仰ぐには、ぜひ、御遺諚
によらねばなりません。 ── 御一しょに、御見
あっては、いかがでしょう」 「もとより、自分は、さしつかえないが」 「惟方とも打ち合わせ、なお女院の思し召しも、お伺いしておきましょう」 こうして、美福門院と、法皇の恩遺書を中心に、内裏方の首脳たちが、議を練ったのが、崩御後、五日目の日であった。 |