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2012/03/13 (火) 源 氏

源氏は源の姓を持つ氏族であるが、その初めは、嵯峨天皇が自らの皇子・皇女に姓を与えたことに始まる。皇室と祖を同じくするという名誉の意味を込めて与えられたという。嵯峨天皇には皇子。皇女が多く、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、姓を与え臣籍降下させることが行われた。その後も源氏賜姓が行われ、その時代時代に賜姓した天皇の追号にちなみ、仁明源氏、清和源氏、宇多源氏などと称された。臣籍降下した源氏のなかで、上級貴族であり続けた例はほとんどなく、多くは中央で中下貴族として生き延びるか、受領階級として地方へ赴きそこで土着して武士化するのが通例であった。
源氏には二十一流あるとされるが、源氏と言えば一般に清和源氏を指すことが多い。武家として歴史上に名を残したからである。清和源氏は、名前のとおり清和天皇の皇子を祖とし、畿内に始まり各地に土着した。源満仲の子から摂津源氏、大和源氏、河内源氏とに分れ、前九年の役 (1051〜62) ・後三年の役 (1083〜87) で活躍し名を知られた源義家 (八幡太郎義家) は、河内国を本拠地とした河内源氏の主流。その子孫には鎌倉幕府を開いた源頼朝がおり、源氏が部門の棟梁となる伝統を打ち立てた。また河内源氏からは石川源氏、甲斐源氏、常陸源氏、下野源氏 (足利氏) 、上野源氏 (新田氏) などが分派し、源氏の一大勢力を築いた。摂津国を本拠地とした摂津源氏からは多田源氏、美濃源氏が分派しており、これらも武家源氏の伝統を引いている。
伊勢平氏の平清盛が中央政権を掌握し、初の武家政権を打ち立てたが、清盛没後、河内源氏流の坂東源氏・源頼朝を棟梁として、いわゆる源平合戦を繰り広げ平家を滅亡させた。頼朝は東国に鎌倉幕府を開き、平氏の流れの執権北条氏や坂東平氏らが政権を担ったが、後醍醐天皇の意向を受けた新田義貞。足利尊氏が鎌倉幕府を倒して新たな新政権を樹立した。征夷大将軍に任命されるためには源氏の出目でなかればならないとされる習慣が出来上がり、室町幕府・江戸幕府 (徳川氏が源氏の流れであることは捏造) と引き継がれ、坂東現時の流れとされる足利氏、清和源氏の流れと称した徳川氏が将軍に任命される幕府を開いたのである。

「平清盛」 発行: NHK・NHKプロモーション 著:石橋健太郎 広島県立美術館 ヨリ
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