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2012/03/13 (火) 平 氏

平氏は、天長二年 (825) 以降に桓武天皇の孫たちの一部が 「平朝臣」 を賜姓されて臣籍降下したことによって始まった氏族である。始祖とする桓武天皇の皇子が四流に分れ、?原新王のの流れの他、万多親王流、仲野親王流、賀陽親王流の三流がある。 「平」 という名称の由来には、平安京にちなんで 「平 (和訓:多比良)」 と名づけたとする説、また、源氏・在原氏と同様に中国古典からの出典との説もある。
平氏には、桓武天皇から出た桓武平氏以後、仁明天皇からでた仁明平氏、文徳天皇から出た文徳平氏、光孝天皇から出た光孝平氏の四流もうまれた。しかし後世に残ったもののほとんどは桓武平氏であり、武家平氏として活躍が知られるのはそのうち高望王流坂東平氏の流れの、そのなかでも常陸平氏や伊勢平氏である清盛は高望王流の桓武平氏である。
清盛の動向や鎌倉幕府の事跡から 「東国の源氏、西国の平氏」 と言われることがある。しかし実際は、高望王流桓武平氏は東国に始まっている。坂東平氏の一族が朝廷に勢力を伸ばし、西国にも平氏勢力を広げたことから、 「西国の平氏」 のイメージが定着しているが始まりは東国である。また武家平氏には、祖である上総介の平高望や、東国で反乱を起こした下総の平将門、将門を倒した常陸の平貞盛などが知られるが、清盛の平氏政権で台頭した平家は伊勢平氏で、貞盛の四男維衡の子孫が伊勢に移り住んだものであり、これを倒した源頼朝を支えた鎌倉幕府の執権北条氏や坂東平氏も同じく坂東に土着した高望王流桓武平氏であった。

「平清盛」 発行: NHK・NHKプロモーション 著:石橋健太郎 広島県立美術館 ヨリ
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