〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/03/12 (月) 武士とは─武士の棟梁は貴族─

初の武士政権を語る以上、その前にそもそも武士とは何ぞや、そしていつごろ成立したものであるのか、ふり返ってみたい。
平安時代、律令制が崩壊して中央政府の力が衰え、地方の治安が乱れるなか、朝廷の地方支配体制は、朝廷が派遣する受領を中心とするものとなり、受領が税の徴収を行うものとなった。生産が安定し財力を蓄えた農民の中からは富豪百姓層と呼ばれる富裕な農民が現れる。彼らは受領の収奪に対する叛乱を起こし武力行使を行うようになった。受領らはこれらに対抗するため武装化し実戦を経験し、こらが武士となるのである。受領に任命された中級貴族らは確実に年貢を上進する代わりに、これらを領地とする領主的な存在・所領経営者となった。受領は財政的利益を得ることが出来たことから、任期が終了しても帰京せずそのままその土地に土着する者たちが多く現れ、地方武士が成立するのである。また富豪百姓層がいわゆる豪族となり武士化し、土着し武士化した受領らの配下に入る者も現れる。このようにして武士団が成立していったと考えられる。
武士団と呼ばれる集団をつくり結束を固めるに当たり、その精神的支柱となる棟梁を求めまつりあげた。その棟梁に選ばれたのが、貴種 (高貴な血を引くという意味) と呼ばれた元国司やその子孫である。いわゆる源平藤橘、源氏・平氏・藤原氏・橘氏などの貴族出身の人物である。この有力なものに清和天皇の血をひく清和源氏と桓武天皇の血をひく桓武平氏などがあり、後世の武家政権の根幹を成すことになる。平清盛はこの桓武平氏の一族に生まれるのである。つまり武士も貴族階層出身のものが多く、またその中心にはより階層の高い貴族が据えられ、一族、郎党が連合して大きな集団をつくり武士団を形成した。結局武士団の上層部も貴族であり、その中心は天皇の子孫である武家貴族と呼ばれる人々が置かれたのである。
もともと平氏も源氏も皇族が姓を賜り臣籍降下したその中の賜姓皇族であり二大勢力であった。いわゆる貴族階級に属する者であるのだが、同じ賜姓皇族である故か源平は相争う事も多く、平氏政権が滅亡するまで平氏と源氏間には争いが耐えなかった。また一方では摂関家を中心とする藤原氏と天皇家出身である平氏・源氏の間の争いも続いた。ある時は対立しある時は共闘し、宮廷内外で権力闘争を繰り広げてきたのである。ここで源氏と平氏の歴史をみてみたい。

「平清盛」 発行: NHK・NHKプロモーション 著:石橋健太郎 広島県立美術館 ヨリ
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