〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/03/10 (土) 出 生 と 立 身

源平内乱が二年目に入った治承五年 (1181) うるう 二月四日、清盛は平家の行く末を案じながら世を去った。ときに六十四歳。
これは数え年であるから、逆算すると生まれは、永久六年 (1118) である。生まれた日は正月十八日。それは鎌倉前期の摂政関白・九条道家の日記 『玉蘂ぎょくずい 』 の建暦元年 (1211) 三月十四日条によってわかる。この時代、臣下で誕生日までわかる人は稀なのだが、 「正月誕生の人、皆最吉なり」 という例としてあげられた。三十年後の若手政治家も、平家の悲劇的な滅亡にもかかわらず、彼のたぐい稀な人生を 「最吉」 と理解していたのである。
父は伊勢平氏の棟梁忠盛、その最初の妻が、保安元年 (1120) 七月十二日に急死した。この女性を清盛の生母と考える点については、各論者異論がない。そしてその死を記した貴族の日記は、彼女が 「仙院の辺」 、すなわち白河法皇の身辺に仕えていた女性だとする ( 『中右記』 ) 。『平家物語』 には、白河法王の胤を宿した女性が、懐妊したまま忠盛に与えられた、忠盛は実の父ではなく育ての親だ、という説を紹介している。
当時白河法皇は院政の主催者だった。院政とは天皇を退いた王家の家長 (上皇、出家して法王) が、彼の直系卑属たる現天皇や朝廷に働きかけて、政治に積極的に関与し、実際を動かすような政治のあり方をいう。落胤説には懐疑的な論者も少なくないが、彼女が白河法皇の身近の女性だという情報は、やはり重要であるし、筆者もその他の論拠をあげながら、落胤説に立っている。
伊勢平氏が院政下で頭角を現し始めたのは、十一・十二世紀の交、忠盛の父正盛のころからである。正盛以前の伊勢平氏は、 「侍」 身分 (当時上流貴族に奉仕する身分呼称。武士と文士からなる。位階的には貴族の下の六位クラス) に低迷していたが、正盛は白河院の愛人祗園女御、同じく第一の寵臣藤原顕季らとの縁で白河院の近習化した。忠盛も白河院、ついで鳥羽院に庇護を得て、諸大夫 (中下級貴族の身分呼称) に上昇、その中で粘り強く昇進を続け、公卿 (三位以上の上流貴族) の直前、正四位上に達した。
正盛や忠盛が家格の壁に守られた貴族社会で地位向上を実現できたのは、北面の武士 (院の親衛軍) の首領格として、使い勝手がよかったからであり、富裕な受領 (国守) として造寺。造塔など院への財力奉仕に熱心だったからである。忠盛は鳥羽院の家政機関 (院庁) 運営の中心的な幹部 (年預ねんよ 別当) となり、仁平元年 (1151) には重職である刑部郷に補せられている。武力・財力以外にも和歌・笛・香道などの宮廷の教養も身につけていた。清盛はその忠盛のもとで、順調以上の官位昇進を果たした。
十二世紀五〇年代後半、保元・平治の乱が起こる。伊勢平氏の棟梁は、すでに清盛に代わっていたが、二つの乱を見事に勝ち抜いた結果、平氏は他から抜きん出た武装集団となり、中央政界の動向を左右する勢力の位置を確立する。平治の乱後、二条天皇親政派と後白河上皇の対立が激化すると、清盛は基本的には天皇側についた。そして巧みな政界遊泳と武力を背景に、急速な官位の昇進を果たした。長寛二年 (1164) には、娘の盛子を摂関家の基実に嫁がせている。この年は平家納経を厳島神社に奉納した年でもあった。
永万元年 (1165) 二条天皇が没し、その子六条が即位した。翌年、二条天皇派仲間の摂政基実が死ぬと、一転清盛は後白河との連携に向かう。以後十年以上、国家権力は後白河院政とそれを支える平家が掌握することになった。
翌仁安二年 (1167) 二月、五十歳の清盛は太政大臣に進む。太政大臣は律令制で最上位の大臣であるが、それ自体は明確な職掌を持たないため、当時は摂関家以外の上流貴族の長老を祭り上げる名誉職になっていた。とはいえ、武士であり諸大夫の家から出た清盛がこの官に昇るのは、いわば驚天動地の出来事である。だが彼は太政大臣なってわずか三ヶ月で辞した。名誉職とはいえ、現職公卿のちいにいれば、朝廷の煩瑣な儀式やしきたりに拘束される。それを嫌ったのだろう。前太政大臣の肩書きだけで十分だったのである。
翌仁安三年、清盛は重病で出家。清盛の後ろ盾を失うことを恐れた後白河は、六条天皇を退位させ、寵愛する平滋子 (後の建春門院) との間に生まれた憲仁親王を即位させた。高倉天皇で、母の滋子は清盛の妻時子の腹違いの妹だった。奇跡的に病癒えた清盛は以後も僧形のまま政局を左右し続ける。出家は、世俗から離脱するたてまえなので、既存の権威や政治秩序をも相対化できる。これにより清盛は、自由な立場で行動することが可能になったのである。以後の彼を、当時の呼び名の一つ、 「入道相国」 と称したい。

「平清盛」 発行: NHK・NHKプロモーション 著:高橋昌明 神戸大学名誉教授 ヨリ
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