十年ほど前に歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんという方が、ふぐの中毒で惜しくも亡くなられました。
三津五郎さんは随筆家でもありましたね。面白い随筆が書かれていて、終戦直後に京都で 「勧進帳」 をなさった話をよく覚えています。
安宅の関で弁慶が、関守の富樫左衛門の前で勧進帳を読むという芝居をやるのですが、終戦直後ですから小道具もなかったのでしょう。肝心の巻物が見つからない、京都は焼け残っていたのですが、京都にも手ごろな巻物がない。
そこで三津五郎さんは、そういえば教育勅語があったなと思いつかれた。
昔はどこの学校でも、特に小学校、中学校などでは、式のたびに校長先生が非常に厳かに読まれたものです。
奉安殿という、教育勅語を納めた小さな、祠のような建物が、どこの学校にもありました。そこから先生の誰かが勅語を取り出してくると、校長先生は白い手袋をはめて厳かに包みを解かれ、箱の蓋をそっと置かれ、勅語を取り出される。
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