〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/14 (土) 腹を切ること M

静子はどの宗教にもかかわりが薄かったが、霊魂や超自然の意思というものが実在していることを信じていた。
長子勝典が戦死した時も彼女は予感し、勝典がいま二階で本を読んでいるのではないかと人にも言い、自分もそのことを不審に思い、その後そのことが気持ちを重くした。はたしてその同日同時刻に勝典は南山の野戦病院で戦傷死したことがわかり、この予感が的中した。
203高地で死んだ保典については希典にその霊感があったが、静子にはなかった。
「保典という子は明るくて淡白な子でしたから霊になっても、自分の死を知らせるようことをしなかったのでしょう」
と人にも言った。
保典がそのような淡白な子であっただけに静子は保典の死を勝典の時よりの激しく悲しんだ。
静子は夢占いを信じていた。自分の見た夢を人に語るのが好きであり、その夢で吉兇を占うことも好きであった。
そういう静子が、いま死についてふと語っている希典に対し、他の人にはない鋭敏さでそれを受け取った。
希典は死ぬのではないか、と、ありありと思った。生者もまた自分の意志以外の意思で、ふと自分の終焉を予言することがあるという。そのことを思った。
希典は病死するのではないか。そう思ったとき、静子はこの不吉な予感を急いで祓わねばならぬと思った。
彼女は思い切って明るい声を出した。
「いやでございますよ」
大声で言った。いやとは一緒に死ぬことが、である。さらにすぐ言った。
「わたくしはこれからせいぜい長生きして、芝居を見たり、美味しいものを食べたりして、楽しく生きたいと思っているのでございますもの」
希典は、黙った。受け取りようによっては希典への抗議とも感じ取れるであろう。
結婚後十八年のあいだ気むずかしい姑に仕え、その間信じ難いほどの軋轢もあり、しかしながら乃木家の体面の手前、それを忍び、ようやく三十八歳の時姑の死によってそのことから解放された。
しかしそのころには勝典が軍人の学校に入ることを嫌がり、それを強制する夫との間に立って難渋した。彼女自身も勝典を軍人にすることを好まなかった。しかし勝典も彼女もついに希典の意志に従った。
保典も自分は軍人に向かないと常々言っていた。それも父の意志によって軍人になった。
その二人が、そろって満州の戦場で死んだ。彼らが揃って仏間に入ってしまった今日、二人の亡児が必ずしも好んで軍人になったわけではなかったことを思い、そのことを思えば思うほど彼女の傷みは日の去ると共にいっそう深まるようであった。
乃木家の人になって三十四年、一体どれほどいいことがあったであろう。しかもこの上、陰鬱なことを自分の将来において予想したくはなかった。
たまたま彼女は、乃木伯爵家の跡目のことについて話題を持ち出した。このことは希典が死ぬということをわざわざ想定しての話柄ではなく、彼女にすれば跡目の若者でも探すKとによって、いまの一時期のこの憂鬱さをそのことの忙しさと賑やかさで紛らそうと思ってみたに過ぎない。であるにに希典は、
----- おまえも死ねばいいではないか。
といった。話題がこのために重くなった。彼女はそれをもとの軽さに戻さねばならなかった。だから 「芝居」 と 「おいしいもの」 という言葉を持ち出した。
ほんのしばらくの沈黙のあと、希典は希典なりに静子の言葉の意味の一切がわかったらしい。この享楽否定主義者が、しかも非常な説教好きであるにかかわらず、何も言わず、爆けるように笑いだした。
「そのとおりだ」
希典は短く言い、上機嫌で立ち上がった。
しかしながらこの夫の顔色は相変わらず悪かった。顔色については、宮中などで人がその悪さに驚いて指摘すると、つねに、
----- ちかごろ、痔の様子がよくないので。
と、彼はきまってそのように答えた。
それも事実であった。痔による貧血と軽い糖尿の気と、それに老来いよいよ宗教的真情といえるまでになっているその粗食と小食のため身動きにまで精気を欠きはじめていた。
やがて彼が背を見せ、その巣のようにしている二階へ戻って行く姿は、どう見ても齢以上の老人の印象であった。
希典はこの時六十四歳になっていた。静子は五十四歳である。
『司馬遼太郎全集・「殉 死」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ