〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/06 (土)

真 木 柱 (十九)
そういえば、あの内大臣の御娘で、尚侍を望んでいられた近江おうみきみ も、ああいう気性の人の癖で、近頃妙に色気づいて、そわそわとして落ち着かないようなので、内大臣も手こずっていらっしゃいます。
弘徽殿の女御も、そのうちこの人が軽はずみな失敗をしでかすのではないかと、何かにつけ御心配遊ばしていらっしゃいます。
内大臣が近江の君に、
「おう人前に出てはならぬ」
とお止めになるのも聞き入れないで、そこらあたりにしゃあしゃあと出て来られます。
どういう折でしたか、殿上人の、評判の高い特に秀れた方々ばかりが、大勢、弘徽殿の女御の御殿に参上して、楽器をかなで、なごやかに拍子を打ったりして、音楽のお遊びに興じていらっしゃったことがありました。そうした秋の夕暮の、心をそそる情趣に、夕霧の中将も御簾みす 近くにお出になって常になく、打ち解けた冗談などをおっしゃるのを、女房たちが珍しがって、
「やはり、ほかの方よりしてきだこと」
などとほめていました。そこへ近江の君が、女房たちを押し分けてしゃしゃり出てこられました。
「あらまあ、困ったわ」
「いったいどうなさったの」
と、女房たちがあわてて奥へ引き入れようとします。ところが近江の君は、いかにも意地の悪い目つきで睨みつけて、がんばって動きませんので、女房たちは始末に困り果てて、
「きっと今にとんでもない軽はずみなことを言い出しそうよ」
と、突つきあっています。
近江の君はこともあろうに、この世にも稀な、生真面目一方の夕霧の中将に向かって、
「この方よ、この方よ」
と褒めそやして、興奮している甲高い声が、はっきり聞こえます。女房たちがほんとうに困りきっているのに、たいそうはきはきした声で、
おつき舟 よるべ波路なみぢに ただよはば さおさし寄らむ 泊まり教へよ
(沖の舟が波路に漂うように 雲居の雁との御縁がなお お決まりでないのなら わたしがお側に漕いでまいります どこにお泊りか教えて下さい)
「<棚無たなな小舟をぶね 漕ぎかへり同じ人をや> の歌のようにいつまでも同じあの方を思っていらっしゃいますの、あら、失礼を」
と言います。夕霧の中将はまったく不審でたまらず、こんな不躾ぶしつけ なことを言う者が、女御のお側にいようとは、聞いたこともないがとお考えになるうちに、あの噂の人物だったのかと気づかれて。おかしくなって、

よるべなみ 風の騒がす 舟人ふなびとも 思はぬかたに 磯づたひせず
(寄る辺もなくて 風にもてあそばれている 舟人のような頼りないわたしも 気の向かないところには 寄りつきません)

との、御返歌だったので、近江の君はさじ、きまりの悪い思いをしただろう、とか。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ