〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/13 (月) 

初 音 (七)

今年は男踏歌おとことうか があります。その行列が宮中から朱雀院すざくいん に参上し、次にこの六条の院に参ります。
道のりが遠いので、六条の院に着いたのは夜明け方になりました。月が曇りなく澄みきって、淡雪あわゆき が少し降った庭の景色が、いいようもなく美しく見えます。殿上人などに音楽の名手が揃っている時期のことですから、今日の笛の音色もおもしろく吹きたてて、この君の前では、奏者も格別緊張してつとめているのでした。
女君たちには、南の御殿へ見物にいらっしゃるようにと、前々から御案内がありましたので、東西のたい や渡り廊下などに、お部屋をそれぞれ用意してそこで御覧になります。
西の対の玉鬘の姫君は、寝殿の南のお部屋にお越しになって、こちらの明石の姫君と御対面になりました。紫の上もそこにいらっしゃいましたので、御几帳だけを間に置いてお話しになります。
男踏歌の一行が、朱雀院や弘徽殿こきでん の大后の御所なども廻っているうちに、夜もようよう明けていきました。水駅みずうまや を割り当てられていたこの六条の院では、踏歌の人々に、簡略な食事だけでいいのにしきたり以上に特別に御馳走をつくり、たいそうもてなされます。荒涼と淋しく冴える暁方の月光の中に、雪は次第に降り積もってゆきます。松の梢の高いいただき から雪風が吹き下ろし、あたりがぞっとするほど淋しい頃に、人々が青いほう えたのに、白い下襲したがさね を着ている色の取り合わせでは、何の華やかさもありません。冠にさした綿の造花は色つやもないものですが、お邸がお邸だから風情があって、心も晴々して一層命が延びるように思われます。
源氏の君の御子息の左中将夕霧の君や、内大臣の御子息たちなどが、多くの踏歌の一行の中でも、とりわけ目立って美しく華やかです。
やがてほのぼもと夜が明けてきます。行きが少しちらついてそぞろ寒い中を、催馬楽の 「竹河」 を謡いながら、寄り合って袖をひるがえす舞姿や、心なつかしい歌声などが、絵にも描き留められないのが残念なことです。
女君たちは、どなたも勝り劣りのない美しい袖口を、御簾の間からうるさいほどこぼれ出させていらっしゃいます。その色合いのおびただしさは、明け方の空に、霞に中から春の錦を ち広げたように見渡されます。
それは不思議なほど、心の満たされる見ものなのでした。
そうはいっても、高巾子こうこうじ という冠をつけた世間離れした舞人の様子とか、祝い言葉の中のみだらな文句や道化じみた言葉を、さも仰々しく言い立てたりするのなど、大げさにする程大して面白味のあるような曲の拍子にも聞こえなかったのですけれど。
恒例によって人々はお決まりの祝儀の綿布を頂戴して退出しました。
夜がすっかり明けてしまったので、女君たちもお帰りになりました。源氏の君は少しおやす みになって、日が高くなってからお起きになりました。
「夕霧の中将の声は、弁の少将にほとんでひけをとらないようだね。今の時代は不思議に諸道の名人たちが出る時らしい。昔の人は、本筋の学問という面では秀れたことも多かっただろうが、趣味の方面では、近頃の人にとても及ばないのではないだろうか。夕霧の中将などを実直な役人に仕立てようと思ったのは、わたし自身の不面目な遊び好きな馬鹿さに似ないでほしいと考えたからだが、やはり心の底には、少しぐらいは風流気のわかる人間であったほうがよさそうだ。それを抑えてうわべだけは生真面目ぶって取り澄ましているのでは、つきあいにくいことだろう」
などと、中将の君をたいそう可愛く思っていらっしゃいます。 「万春楽ばんすらく 」 を口ずさまれて、
「女君たちがせっかくこちらにお集まりになった機会に、ぜひみんなで女楽おんながく を催してみたいものだ。わが家だけの後宴ごえん を開くことにしよう」
とおっしゃって、それぞれに立派な袋に入れて、大切に秘蔵していらっしゃるお琴などを、皆引き出して、ちり を払い、ゆる んだ糸を調律させたりなどなさいます。
女君たちは、それぞれにあれこれお気づかいをなさって、随分と緊張していらっしゃる御様子です。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ