どなたからもお礼の御挨拶は一通りではなく、お使いたちへのねぎらいの品もそれぞれのおきづかいがゆき届いている中に、末摘花の君は二条の東の院にお住まいなので、六条の院の方々よりは少しさし控えて、しゃれた趣向があってもいいところなのに、何事にも几帳面になさる御性格から、作法通りのことは手を抜かないで、山吹襲の袿
の、袖口がひどくすすけたのに、下襲も添えず、使者への引出物としてお与えになりました。源氏の君へのお手紙は、香を強く焚きしめたこわごわした陸奥紙みちのくがみ
の、年数が経って黄ばんでいるのに書いてあります。 「さてさて、今更晴れ着を頂戴いたしましたのは、かえって恨めしく存じられまして」 |
きてみれば
うらみられけり 唐衣からころも
返しやりてむ 袖を濡らして (贈られた晴れ着着てみれば 日頃の冷たさ身にしみて いっそ恨めしやこの唐衣
ええ返してしまおう わたしの涙で袖濡らし) |
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御筆跡は、とりわけ古風です。源氏の君は、こらえきれないようににやにやなさって、そのお手紙をすぐにはお手から放されません。紫の上はどうなさったのかと、こちたを窺うか
がっていらっしゃいます。お使いへの心づけが、あまりに見すぼらしく不体裁なと思われて、君の御機嫌がお悪いので、お使いはそそくさと退出しました。女房たちもその引き出物に皆こらえきれずおかしがって、囁ささや
きあって笑っています。 末摘花の君が、こんなふうにむやみと古風なばかりか、はた迷惑なところがあって、さし出がましいことをなさるので、源氏の君ももてあまし気味でやりきれないと、きまり悪そうなお目つきです。 「この古めかしい歌詠みさんは、
「唐衣からころも
」 とか、 「袂濡たもとぬ
るる」 とかの恨み言が、おはこのようだね。わたしもその仲間だろうけれど。まったく古風一筋に凝り固まっていて、現代風の言葉遣いなど振り向きもなさらない点は、恐れ入ったものですよ。人の集まっている場合を詠む時は、何かの折に、又は帝の御前などでの改まった歌会では、
『まどゐ』 という三文字を必ず使うきまりなのですよ。昔の恋のしゃれたやりとりの歌では、 『あだびとの』 という五文字を上の句と下の句の間に置いてさえおけば、言葉の続きぐあいが落ち着くような気がするらしい」 などとお笑いになります。 「さまざまの草子や歌枕うたまくら
の内容をよく勉強し、すっかり読みこなしていて、その中の言葉を取り出してみても、いつも読み馴れている詠みぶりは、そう大して変わるはずもないでしょう。この方の父君の常陸ひたち
の宮みや
が書き写されたという紙屋紙かみやがみ
の草子を、わたしに読めと姫君が贈って下さったことがあります。和歌の作り方の秘伝が、びっしりと書かれていて、歌の病の避けなければならない規則がたくさんあげられていたので、もともと歌のうまくないわたしには、それを見るとかえって、ますます窮屈になり、動きがとれなくなりそいうだったので、面倒に思い、返してしまった。そんなものを読んで歌をよく勉強しておいでの方の詠みぶりにしては、どもこの歌は平凡ですね」 とおっしゃって、おかしがっておいでの御様子なのは、末摘花の君にはお気の毒なことです。紫の上はたいそう真面目な表情で、 「どうしてその草子をお返しになりましたの。それを書き写しておいて、うちの姫君にもお見せすればよろしかったのに。わたしの手許にもそうした本がしまいこんでありましたが、みんな虫がついてだめになってしまいました。ですからわたしはそういう歌の本を読んでいないせいで、何といってもお話しにもならないほど歌はさっぱいなのです」 とおおしゃいます。 「あれは姫君の歌の勉強には何の役にも立たないだろうね。大体女というものは、好きな一つのことだけを取り立てて凝り固まるのは見苦しい。かといって何事にも不調法なのはよくない。ただ自分の心構えだけはあやふやでなくしっかり持って、うわべはおっとりろいているのこそ、見た目にも感じのいいものでしょう」 などとおっしゃって、末摘花の君へのお返事などは気にもかけていらっしゃいません。紫の上は、 「あちらのお歌に
『返してやりてむ』 とあったのに、こちらからもすぐ御返歌をなさらないのは、失礼になるでしょう」 と、おすすめになります。源氏の君はもともと思いやりのある御性質なので、お返事をさも気楽そうにさっさとお書きになります。 |
返さむと
言ふにつけても 片敷かたしき
の 夜の衣を 思ひこそやれ (着物を返そうとの お言葉につけても その着物の片袖を敷き 独り寝なさるあなたが
おいとおしく思いやられて) |
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「ごもっともなお嘆きです」 と書かれていたようでした。 |