〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻三) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/04/17 (日) 

まつ  かぜ

二条の院の東の院もすっかり出来上がって、秋、源氏はそこへ花散里の君を迎えた。ここへは明石の君を迎えたいとも考えていた。
明石では、源氏から姫君を連れて京へ移るようにとしきりに言って来るが、明石の君はなかなか決心がつかない。京へ出て、他の高貴な女君たちと競争することなどとても出来ないと思う。入道は、嵯峨さが大堰川おおいがわほとり に、自分の土地や邸があり、今まで人まかせにしてあったのを取り戻し、邸も大修理して、そこへ明石の君母子を行かせることにした。迷いながらも入道にすすめられて、明石の母子と、入道の妻の尼君もつきそって行くことになる。入道は別れの淋しさをかくし、自分のことは亡きものと思えと送り出してやる。
源氏は入道の志しを有り難く思い、大堰の家の普請や、庭の造園に手を貸すのだった。
姫君は三歳になっていて、可愛らしい盛りで源氏にもよくなつく。源氏はこの美しく生まれついた姫君の将来を思い、生母の身分が低いので、いずれ、紫の上に育てさせ、紫の上の娘分として入内させようと考えている。
明石の母子が嵯峨に移り住んだことを源氏から話され、紫に上は心中おだやかでない。身分が低くても源氏の子を産んだ女の強味は、紫の上の立場を脅かすに充分であった。
源氏は紫の上の心をなだめるため、月二回しか大堰を訪れることはない。それも嵯峨に御堂を造り、その普請の監督とか、仏具の飾りつけのためと名目をたてる。明石の君に逢ってもせいぜい、一、二晩しか泊まることは出来ない。明石の君はそんな淋しい暮しに耐えながらも、姫君の可愛らしさに淋しさをまぎらわしていた。sの姫君さえとうとう奪われる日が来た。
その年の暮れ、源氏は紫の上に育てさせるのが子供の将来のためだと因果を含めて、姫君を二条の院へ連れ去ってしまう。姫君は母も一緒に行くものだと思って、手を引っぱって車に乗ろうという。
紫式部は子供を書くと、実に天才的にうまい。夫の宣孝のぶたか との間に賢子けんし という女の子を産んでいるため、幼い女の子を書くと筆がいききしてくるのだろう。雪の日の子別れの場面は、姫君の可憐さと明石の君の哀切さのため、読者の涙をしぼらせる場面である。
姫君は二条の院に連れていかれ、しばらくは母を思い出しては探し、泣いていたが、紫の上がやさしく可愛がるのにすぐ馴れて、人形遊びやままごと遊びを愉しむようになる。紫に上は子供好きなので、無性に可愛がるとあるが、恋敵の産んだ子に対して、そんなにすんなり愛がそそげるものだろうか。その当時の物語の普遍的な主題には継子いじめの話がよく取り扱われていた。そんな風潮の中で、継子を可愛がる話しには、読者は意外性と新鮮さを覚えたのではないだろうか。
桂の院という別荘を急に造るという名目も、大堰行に利用されている。
嵯峨の御堂というのは、現在の釈迦堂と呼ばれている五台山清涼寺に当たるようだ。ここは光源氏のモデルともいわれた源融みなもとのとおる の別荘の跡だと伝えられている。
また桂の院とは、現在の桂離宮のあたりに当たるだろう。
さらに前には川がせまり、その風情が何となく明石の浦をしのばせるという、大堰の明石の君の邸は、現在の嵐山の大堰川の北岸、嵐亭のあたりかと考えられる。
紫式部は自分のよく歩いたり、住んだ場所しか出来るだけ小説には使っていないようである。
もちろん、それは今も昔も小説家の心得の一つである。

源氏物語 (巻三) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ