〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-X』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻二) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/12/27 (日) 

末 摘 花 (十七)

御車を寄せてある中門ちゅうもん がたいそうひどく歪んで倒れかかっていて、昨夜夜目にはそれがわかっていても、なんとか暗さに隠されていることが多かったのに、今朝見ると、ひどくあわれに寂しく荒れはてているのに、松の雪ばかりが、あたたかそうに降り積もっています。その景色が、山里のような心地がしてしみじみともの哀れです。それを御覧になった源氏の君は、
「そういえばあの雨の夜の品定めの時、左馬さまかみ たちが話していた美女の住むむぐら の宿とは、こういう所を言ったのだろう。なるほど、可哀そうな身の上のかわいらしい女を、ここに住まわせて、気がかりでたまらないような恋がしたいものだ。そうすれば、恋してはならぬあのお方への切ない物思いも、それにまぎれることだろう」
とお思いになります。
「ここは全く物語の中の荒れ果てた葎の宿のように、住んでいる姫君はおよそそれにふさわしくない御様子なのだからお話にならない。これが自分でなかったら、なおのこと、とてもこの姫君には辛抱できないだろう。自分がこうして姫君に通うようになったのは、亡き常陸の宮の御魂みたま が、姫君の身の上を御心配のあまり、姫君の身につき添われていて、お導きになったのだろう」
とお考えになります。
たちばな の木が雪に埋もれているのを、随身ずいじん を呼ばれて、雪を払わせられます。それをうらや み顔に、松の木は自分で起きかえって、その拍子にさっと落ちこぼれる雪が、<わが袖は名に立つ末の松山か> という歌の情景に見えるのを御覧になって、さほど深いたしな みなくても、こんな時、一通りの気のきいた受け答えの出来る人がいて欲しいものだとお思いになります。
お車を曳き出す門はまだ閉まっておりましたのでゑ、鍵の番人を探し出しますと、大層な年寄りが出てまいりました。老人の娘か孫か、どっちつかずの年頃の女が、雪に映えてひどく汚れて、すすけの目立つ着物を着て、いかにも寒そうな様子をしながら、妙な器に火をほんの少し入れて、袖で囲って持っています。
老人がなかなか門を開けられないのを、側に寄って力を合わせて女が手伝っているのですが、いかにも見苦しく見えます。源氏の君のお供の人たちが、寄っていって開けました。

ふりにける かしら の雪を 見る人も 劣らずぬらす 朝の袖かな
(門番の老爺の 白髪に降る雪を 見るにつけてもこの朝 老爺の頭が雪に濡れるように わたしの袖も涙で濡れてくる)
<若き者は形かくれず>
白氏文集はくしもんじゅう の詩句を口ずさまれるにつけても、その詩句の後につづく、
<悲喘ひぜん と寒気ろ併せて鼻の中に入りて辛し>
という句を思われ、鼻の先が赤くなって、さも寒そうに見えた姫君のお顔を、ふと思い出されて、思わずほほえんでおしまいになるのでした。頭の中将にあの赤い鼻を見せたら、どんな奇抜なたとえを言うだろう。いつもこちらを探りに来る人だから、今にきっと見つけられるだろうと、それも仕方のないことだとお思いになります。
世間並みな、別に珍しくもない平凡な御器量なら、そのまま忘れ去ってしまうところを、源氏の君は姫君の異様さをありありと御覧になってしまった後は、かえってしみじみ可哀そうにお思いになって、色恋ではなく真面目に始終お便りをお上げになります。
黒貂くろてん の皮にかえて、絹やあや や、綿など、老女房たちの衣類や、鍵番の老人のものまで、使用人の上から下の者たちにまで、お心を配ってお届けになるのでした。
こんな暮し向きのお世話をしても、姫君は別に恥ずかしがりもなさらないで、源氏の君もかえってお気が楽で、そうした方面の後見うしろみ となって、お世話しようとお考えになります。こうして普通とは違って、そんなことまでするべきでないような、内輪の立ち入ったお世話までなさるのでした。
あの空蝉うつせみ の、くつろいで碁を打っていた宵に見た横顔は、かなり不器量に見えましたけれど、たしなみ深い身のこなしに欠点が隠されて、そう悪くはなかったものでした。常陸の宮のこの姫君は、御身分からいえば空蝉に劣るはずはないのに、こうして見ると、全く女のよしあしというものは、身分にもよらぬものだということが分かりました。
空蝉は心ばえはやさしく、心憎いほど奥ゆかしい女だったけれど、とうとうこちらの負けばかりで終ってしまったなどと、何かの折ごとにまだ思い出していらっしゃるのでした。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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