〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/18 (水)  

桐 壺 (十七)

その夜、左大臣のお邸に源氏の君は退出なさいました。婚礼の作法は例もないほど立派に整えて、左大臣は婿君をおもてなし申しあげます。婿君がまだ子供子供していらっしゃるのを、左大臣は非常に可愛らしいとお思いになります。
女君は、源氏の君より少し 年嵩 としかさ でいらっしゃるのに、婿君があまりに若々しいのが、御自分と不似合いで恥かしく、気が引けるようにお感じになります。
この左大臣は帝の御信任がたいそう厚い上に、北の方と帝は、同じ 后腹 きさいばら の御兄妹ですから、どちらから見ても、まことに申し分のない華々しい御立場の上に、今また源氏の君までこうして婿君として迎えられましたので、東宮の御祖父として御即位の暁には、天下の まつりごと を執り行われるはずの右大臣のこれまでの御威勢は、ものの数でもなく 気圧 けお されてしまわれました。
左大臣はたくさんの男のお子たちを夫人たちの腹々に生ませていらっしゃいます。姫君と同じ 宮腹 みやばら のお子の 蔵人 くろうど 少将 しょうしょう は、まだ若々しく御器量もすぐれているので、日頃仲の悪い右大臣もそれを見過ごすことは出来ず、可愛がっておられる四の姫君にめあさされました。左大臣に負けず、この少将を大切になさる力の入れようは、ほんとうに望ましい理想的な 婿舅 むこしゅうと の御関係でした。

源氏の君は帝が始終お側にお召し寄せになりお放しにならなかったので、ゆっくり里住まいでくつろぐこともおできになりません。心の中では藤壺の宮だけを、この世でただ一人のすばらしいお方として恋い慕われていて、
「もし妻にするなら、あのようなお方とこそ結婚したい。あのお方に似ている女など、この世にはとてもいそうにない。左大臣家の姫君は、器量も申し分ないし、大切に育てられたいかにも上品な 深窓 しんそう の人だけれど、どこか しょう が合わないような気がする」
と、ひそかにお思いになって、幼心の一筋に、藤壺の宮のことばかりを思いつづけて、苦しいほどに恋い悩んでいらっしゃるのでした。
元服されてから後は、帝もこれまでのようには、源氏の君を御簾に中へ入れてくださいません。
管絃の御遊びの折々、藤壺の宮の御琴に合わせて、源氏の君が笛を吹く時などに、ひそかに心を通わせ、かすかに漏れ聞こえてくる藤壺の宮のほのかな 声音 こわね に、わずかに心を慰めていらっしゃるのでした。それだけでも、源氏の君にとっては宮中のお暮らしが魅力なのです。五、六日も宮中で過ごされ、左大臣家には二、三日というふうに、とぎれがちにしかお泊りになりません。それも左大臣は、なにしろまだ幼いお年頃だからと、何事にもとがめだてもせず、ただひたすら大切にもてなしていらっしゃるのでした。
婿君の方にも姫君の方にも、選りすぐった器量や才芸の並々でない女房ばかりを集めて仕えさせていらっしゃいます。源氏の君のお心を惹くような面白い遊びの催しごとをしたりして、せいぜいご機嫌をとり結ぶことに心を砕いていらっしゃるのでした。
源氏の君は宮中では、もとの桐壺の更衣のお部屋をそのままいただいて、更衣にお仕えしていた女房たちを、今も散り散りにならぬよう、引きつづいてお仕えさせています。
昔の更衣の二条の里邸は、 修理職 すりしき やに帝からの 宣旨 せんじ が下って、またとないくらい立派に改修の工事が進んでいます。もともと庭の植え込みや、 築山 つきやま の配置などは結構な風情のある所でしたが、さらに池を広く作り直したり、邸を立派に増築したりして工事が賑々しいことです。
源氏の君はその二条のお邸をご覧になるにつけても、
「こんな所へ、理想通りの心に適うお方をお迎えして、ご一緒に住めたらどんなに幸せだろう」
とばかり、切なく思いつづけられるのでした。
「光る君」 という名は、あの 高麗 こま の観相家が、この君をほめたたえてお付けしたのだと、言い伝えられていますとか。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ