チュートン族
(ゲルマン民族の一種) は、女性に対する迷信的とも言える畏敬をもってその種族的生活を始めた (これはドイツにおいてはじっさい消滅しつつある)
。アメリカ人は、女性の数が絶対的に不足していることを痛感しながらその社会生活を始めた (今では女性人口も増加して、殖民時代の母がもった特権は急速に失われつつあるのではないかと私は恐れている)
。したがって、西洋文明においては、男性が女性に対して払う尊敬が道徳の主な基準となったのである。 しかしながら、武士道の武中心の論理では、善悪の主な分水嶺は、別の所に求められた。それは、人の内面にある崇高な魂と他の人の魂とが、この本の初めのところで述べた五倫の道によって結びつく義務の道筋に沿って存在した。 この五輪のうち、私は忠義、すなわち臣下と主君の間の関係について、読者の注意を促しておいた。その他の点については、ただ折に触れて、ついでに述べただけである。それらは武士道特有のものではないからだ。それらは自然的情愛にもとづくものだから、人類全体に共通のものである。ただし、いくつかの特殊な点については、武士道の教えから強められることがありうる。 これに関して私は、男同士の間における友情の特別な力と情の深さを思い起こす。それによって、兄弟の盟約には一種ロマンティックな思慕がしばしば付け加えられた。それが、少年の頃から男女が隔離されていたことによって、強められていただろうことは疑いない。──
男女の隔離は、西洋の騎士道やアングロ・サクソン諸国の自由交際においては開かれている愛情の自然な水路を塞いだのである。ダモンとピシアス、あるいはアキレスとパトロクロスの物語の日本版を書いてもいいし、ダビデとヨナタンを結び付けていたのに劣らない深い友情を、武士道の中に述べることも出来る。 武士道特有の徳目と教えは、武士階級のみに限定されるものではなかったが、これは驚くには当らない。武士道が国民全般に及ぼした影響の考察を急ごう。
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