〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/08 (日) 

切 腹 と 敵 討 の 現 在

切腹と敵討の制度は、刑法法典の発布とともに存在理由を失った。もはや美しい娘が姿を変えて親の敵の跡を追うロマンチックな冒険を耳にすることはない。宮本武蔵の武者修行も、今や昔話となった。規律のある警察が、被害者のために犯人を捜索し、法律が正義を実現する。国家とは社会の全体が悪を正す。正義感が満足されたため、敵討の必要はなくなったのである。
もし敵討が、ニュー・イングランドの神学者が書いたように、 「人生の渇望を犠牲者の血で満たそうとする欲望が生んだ心の飢え」 だとしたら、刑法の数ヵ条でこれらを根絶させることはなかっただろう。
切腹は、もはや制度上は存在しないが、なおときおり耳にするし過去が記憶される限り、今後も聞くことになるだろう。
自殺志願者は、世界中で驚くべき速さで増加しているから、痛みのない、また時間もかからない多くの自殺方法が流行するだろう。しかし、モルセリ教授は、多くの自殺方法の中で、切腹に高貴な地位を与えなければならない、と言う。
彼は、 「自殺が非常に苦痛を伴う手段、あるいは長時間の苦悶を犠牲にして遂行される場合、百のうち九十九までが、狂言か狂気、あるいは病的興奮による精神錯乱の行為に帰することが出来る」 と主張するが、正常な切腹には、狂言、狂気、興奮の気配すらない。
切腹を立派に行うには、極度の冷静さが必要だったからである。
ストラハン博士は、自殺を分類して、理性的あるいは擬似的自殺と、非理性的あるいは正しい自殺という二つに分類したが、切腹は理性的な型の典型例である。
これらの血なまぐさい制度からしても、また武士道の一般的傾向からしても容易に推論できるのは、刀が社会の規律や生活に重要な役割を占めたことでる。通常、刀は武士の魂と呼ばれた。

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ