〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/06 (金) 

日 本 人 の 心 の 働 き の 真 相

私が望むのは、しばしば冷酷な、あるいは笑いと憂鬱とのヒステリックな混合であるかのような外観を呈し、時には正気が疑われることすらある日本人の心の働きの真相を、少しでも示すことである。
日本人が苦痛に堪え、かつ死に対して無頓着なのは、神経が鈍感だかだからだという人もいる。これは、その限りではもっともである。次に来る問いは、これである ── なぜ日本人の神経は敏感でないのか。
わが国の気候が、アメリカほど刺激的でないからかもしれない。わが国の君主政体が、共和制のフランス人を興奮させるほどに私たちを興奮させないからかもしれない。イギリス人ほど熱心にはカーライルの著作 『衣服哲学』 を読まないからかもしれない。
しかし、絶えず克己を励行させる必要があったのは、まさに私たちが興奮しやすく、敏感だったからだと私は信じる。ともかくこの問題に関しては、長年にわたる克己の訓練を考慮に入れなくては、どのような説明も正確ではありえない。
克己の訓練は、度を越してしまいがちだ。それは、精神の活き活きした動きを抑圧することがありうる。それは、素直な天性を歪め、奇形なものにすることがありうる。それは頑迷さを生み、偽善を養い、感情を鈍らすこともある。
ごんなに高貴な徳性であったも、その反面があり、その偽者がある。私たちは、それぞれの徳性の中に、積極的な美点を認め、その積極的理想を追求しなければならない。そして克己の理想とは、日本風に言うと、心の平安を保つこと、あるいはギリシャ語を借りて言えば、デモクルトスが至高善と呼んだエウテュミア (内心の平安) の状態に到達することにある。
私たちは、次に切腹および復讐の制度を考察しよう。特に切腹は克己の極致であり、それが達成されたことがもっともよく示される。

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ