自分自身の良心を、主君の気まぐれな意志や粋狂や妄想のために犠牲にする者に対し、武士道では低い評価が与えられた。こんな人間は、
「佞臣
」 すなわち節操のない諂へつら
いでご機嫌をとろうとする卑劣な家臣として、また 「寵臣ちょうしん
」 すなわち奴隷的追従ついしょう
によって主君の寵愛を盗み取ろうとする家臣として軽蔑された。 これら二種類の家臣は、イアーゴが次ぎのように描く者たちとぴったり一致している。 「一方は、自分がつながれている頸くび
の綱を押し戴き、主君のロナとまるで同じように、むざむざ一生を浪費して、従順にはいつくばる愚者であり、他方は、表面では忠臣らしく身振りと顔つきでふるまいながら、心の底では自分の身のことばかりを考えている者である」 臣下が主君と意見を異にする場合、彼が取るべき忠義の道は、リア王に仕えたケントがそうしたように、あらゆる手段を尽くして主君に諌言かんげん
することにあった。それが容れられない時は、主君の望むままに自分を処罰させる。このような場合、サムライにとって、自分の血をそそいでおのれの言葉の誠実さを示し、これによって主君の知性と良心に最後の訴えをすることが、ごく当たり前の筋道だった。 生命は主君に仕えるための手段として考えられ、その理想的あり方は名誉に置かれていたから、武士の教育と訓練は、すべてこれに従って行われた。 |