〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/04 (水) 

忠 義 は 諂 い や 追 従 で は な い

ソクラテスは、彼のダイモーン (神霊) に対する忠義を、たった一つ譲歩することも断固として拒否した。それでありながら、同等の誠実と諦念とをもって、地上の主である国家の命令に従ったではないか。彼は、生きては自己の良心に従い、死しては自己の国家に仕えたのである。国家が市民に対し、彼らの良心までをも指揮することを要求するほど強大になる日を悲しむべきである。
武士道は、われわれの良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかった。イギリスの詩人トマス・モゥヴレイの次の詩は、私たちの心を代弁するものである。

恐ろしい主君よ、私の身体をあなたに捧げます。
私の生命はあなたの命令のままですが、私の恥は違います。
生命を棄てるのは私の義務ですが、しかし私の美しい名は、
たとえ死んでも、私の墓に生きて行きます。
暗い不名誉なことに使ってはいけません。

自分自身の良心を、主君の気まぐれな意志や粋狂や妄想のために犠牲にする者に対し、武士道では低い評価が与えられた。こんな人間は、 「佞臣ねいしん 」 すなわち節操のないへつら いでご機嫌をとろうとする卑劣な家臣として、また 「寵臣ちょうしん 」 すなわち奴隷的追従ついしょう によって主君の寵愛を盗み取ろうとする家臣として軽蔑された。
これら二種類の家臣は、イアーゴが次ぎのように描く者たちとぴったり一致している。
「一方は、自分がつながれているくび の綱を押し戴き、主君のロナとまるで同じように、むざむざ一生を浪費して、従順にはいつくばる愚者であり、他方は、表面では忠臣らしく身振りと顔つきでふるまいながら、心の底では自分の身のことばかりを考えている者である」
臣下が主君と意見を異にする場合、彼が取るべき忠義の道は、リア王に仕えたケントがそうしたように、あらゆる手段を尽くして主君に諌言かんげん することにあった。それが容れられない時は、主君の望むままに自分を処罰させる。このような場合、サムライにとって、自分の血をそそいでおのれの言葉の誠実さを示し、これによって主君の知性と良心に最後の訴えをすることが、ごく当たり前の筋道だった。
生命は主君に仕えるための手段として考えられ、その理想的あり方は名誉に置かれていたから、武士の教育と訓練は、すべてこれに従って行われた。

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ