〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/10/24 (土) 

戦 乱 の 時 代 が 生 ん だ 日 本 人 の 特 性

このように、その源泉が何であるにせよ、武士道がそこから取り込んで自己のものとした本質的な原理は、わずかで単純なものだった。そうであるにせよ、わが国民の歴史上、もっとも不安定な時代のもっとも危険な日々においてさえ、確かな教訓を与えるには十分であった。
私たちの祖先である武士の健全で素朴な性質は、古い思想の本道やわき道から拾い集められた平凡で断片的な教訓の穂の中から、彼らの精神の十分な糧を引き出し、時代の要求に刺激され、新しい独特な男らしさを形づくっていったのである。
フランスの鋭い学者ド・ラ・マズリエール氏は、十六世紀日本の印象を要約して言っている。

十六世紀の中頃に至るまで、日本では政治も社会も宗教もすべて混乱の中にあった。
しかし、内乱、すなわち野蛮な時代に戻ったかのような生活習慣のあり方、個々人がそれぞれの権利をみずから守らなければならない状態、 ── こうした状況は、フランスの哲学者テーヌによって、 「勇敢な独創力、断固とした決心と死を決した行動の習慣、実行と忍耐との偉大な能力」 を賞讃された十六世紀のイタリア人に比肩する人物像を、日本においても作り出した。
日本でも、イタリアと同様、中世の粗野な生活習慣は、人間を、 「完全に闘争的で反抗的な」 偉大な動物とした。そして、このことこそ、日本民族の主要な特性、すなわち日本人の精神及び気質に見られる偉大な多様性が、十六世紀において最高発揮された理由なのである。
インドにおいて、そして中国においてさえ、人びとの間にある差異は、主として活力か知能の程度においてであるのに対し、日本では、これらのほかに、人びとの性格の独創性において差異がある。まさに個性は、優れた民族ならびに発達した文明社会の象徴である。ドイツの哲学者ニーチェが好んだ表現を使うとすれば、 「アジアにおいては、その人間性を語るとすればその平原 [個性なき人びと] を語らざるを得ないが、日本においては、ヨーロッパと同様、その山脈 [個性あふれる人びと] によって語ることが出来る」 と言えるだろう。
ド・ラ・マズリエール氏が書いた日本民族の特性について、今度は私たち日本人自身が書かねばならない。私は、まず 「義」 から考察するとしよう。
『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ