〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/24 (木) 

ネ ボ ガ ト フ (十八)

この二十八日、さまざまな水域でロシア側の残艦が日本の各戦隊によって発見された。どの艦も手ひどく破壊され、なかには沈没寸前の姿で水を掻き進んでいるのもいた。
それらの艦は、一、二の例外のほかはいずれも降伏せず、果敢に砲戦し、撃沈された。
日本側では出来る限りこれらの乗員を救助した。そういう救助のために、汽船に中小口径砲を積んだ仮装巡洋艦の亜米利加丸や佐渡丸がまるで救助専門の船種のように海域を走りまわるという状況になった。
それらの残艦のうち最大のものは、装甲巡洋艦ドンスコイ (六二〇〇トン) であったであろう。
第四戦隊の浪速以下四隻の小さな巡洋艦が、この正称ドミトリー・ドンスコイが懸命に西北に向かっているのを発見した。
浪速はまず、無電をもって、
「ドンスコイヨ、汝ノ司令官ネボガトフ提督ハ降伏セリ」
と、報せた。が、ドンスコイはそれを黙殺した。返電もせず、いよいよ速力をあげた。浪速以下はそれを追ったが、しかし日清戦争当時のこの小さな老朽巡洋艦の脚ではとても追いつけそうになかった。
このときたまたま無電を受取った第三戦隊の二艦が現れた。三等巡洋艦音羽、新高で、音羽にいたっては開戦後に横須賀海軍工廠で竣工した二十一ノットの艦である。
ドンスコイは機罐かま の蒸気をいかにあげても十七ノットしか出ない。しかも音羽と新高は二隻の駆逐艦 (朝霧、白雲) を伴っていた。
しかしドンスコイは装甲されているだけでなく、火力も、日本の三等巡洋艦など手もなく撃沈できるだけの力を持っていた。
艦長のレーベジェフ大佐は、降伏はいっさい念頭になかったらしい。彼は艦首を鬱陵島の方角に向けさせた。島にぶっつけて自沈するつもりであった。それまでの間むらがる日本の群小艦に出来るだけ損害を与えようと決心した。
日本側は、包囲した。第四戦隊の四艦は右方から接し、音羽、新高は左方より向かい、午後七時二十分、音羽の艦長の有馬良橘が八千メートルを測って射撃を開始させた。
ドンスコイは火災に包まれたが交戦をやめず、夜に入っても戦い、かつ逃げようとし、そのかん 何発かの弾を日本側の各艦に命中させた。驚嘆すべきことにこんpロシア軍艦は二十九日の午前七時までなお戦い、ついに力尽きて鬱陵島にみずから艦をぶち当てた。
艦長は乗員を上陸させたあと、艦底のキングストン弁を開いて艦を自沈させ、のち捕虜になった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ