〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-T』 〜 〜
── 人 間 の 証 明 ──
 

2015/08/12 (水) 

人 間 の 証 明 (五)

── 中山種さんは、なぜそしてどのようにして殺害したのか? ──
「種さんを殺すつもりはまったくありませんでした。新聞を読んで、警察がいずれ霧積に目を着けるだろうことを予測して、種さんがどの程度私たちのことをおぼえているかそれとなく探りに行ったのです。それが刑事さんが霧積へ行った日と同じだったのは、偶然の一致です」
── それならば、なぜ、高崎では自分を隠そうとしたのか? ──
「種さんに会いに行くことは、極力隠したかったからです。主人にも今回は妻として私的に いていきたいから応援演説のようなことは一切しないようにと言って了解してもらいました。十月二十一日、主人の講演会と地元有志との懇談会が終わった後、近くに住んでいる大学時代の同窓を訪ねると主人を欺いて、人目につかぬように湯の沢の種さんの家を夜遅く訪れたのです。でも種さんは私を 『黒人の家族連れ』 としてよく覚えていました。そのとき私は、種さんを殺さねばならないと思いました。その夜はそこに泊めてもらって隙をねら ったのですが、なかなかチャンスがありません。そのときふと種さんがこの村も間もなくダムの底になるともらしました。私は、それなら今のうちによく見おさめておいたほうがいいだろうと言いますと。足腰の立つうちによく見ておこうろ言いだしまして、私の肩に縋ってダムの上へ出かけたのです。早朝のことで、他に人影はありませんでした。お種さんは霧積で働いている孫が今日は帰って来るとかで、とても上機嫌でした。きっと自分の元気なところを孫に見せるための訓練のつもりがあったのでしょう。私を全然疑っていませんでした。無防備なお種さんをダムから突き落とすのは、あっけないくらいにたやすいことでした。お種さんは、まるで紙のようにひらひらと落ちていきました。あまりあっけないので、いばらくは人間を突き落としたという感じがしませんでした」
恭子の自供後、新見に伴われて帰国した郡恭平と朝枝路子も犯行を自供した。恭平の車体からもかすかな人体の組織片は採集され、小山田文枝のものと認定された。恭平はコンタクトレンズのケースと、熊の縫いぐるみも自分のものと認めた。ケースだけなにげなくポケットに入れっぱなしにしておいたのが、小山田文枝の死体を埋めるはずみに地上に落ちて、決め手にされてしまったのである。
同じころ、新宿署では、あるアパートの一室で 「アンパン遊び」 と不良学生の間で呼ばれている、睡眠薬にラリ って乱交をするパーティに加わっていた男女高校生十数名を補導した。その中に郡・八杉夫妻の娘である陽子が加わっていた。八杉恭子は、一人の子を犠牲にして守ろうとした二人の子をも同時に失ってしまったのである。もちろん、彼女の社会的名声も終わりであった。
だが彼女の失ったものは、それだけではなかった。郡陽平が離婚を申し立てたのである。それを知っていれば結婚しなかったであろう重大な事実を隠していたというのが理由であった。
恭子は争わずに、その申し出を れた。夫が自分の地位を護るために、離婚を申し立ててきたことがわかっていたからである。ここに彼女はいっさいのものをうしな った。それは徹底的な喪失であった。
だが、彼女がすべてを喪った後にも、たった一つ残しているものがあったことを知っている捜査員がいた。
八杉恭子は、自分に中に人間の心が残っていることを証明するために、すべてを喪ったのである。棟居は恭子が自供した後、棟居自身の心の矛盾を知って、愕然がくぜん とした。彼は人間を信じていなかった。そのように思い込んでいた。だが決め手をつかめないまま恭子に対決したとき、彼は彼女の人間の心に けたのである。心の片隅で、やはり人間を信じていたのだ。
捜査本部に悪人を捕えた勝利感はなかった。
年の瀬が迫っていた。

『人 間 の 証 明』 著:森村 誠一 ヨリ
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