乃木軍が満州の野に向かって北進を開始したころには、連合艦隊はすでに艦艇の修理をほぼ完了し、人事その他、新段階
── バルチック艦隊迎撃 ── にむかってすべての機能が作動しつつあった。 二月六日、司令長官東郷平八郎は、真之
ら幕僚を率いて列車で東京を去ったということは、すでに触れた。 「艦隊ノ全力ヲ朝鮮海峡ニ置キ、機ニ応ジテ行動スル」 という行動上の大方針が、すでに決定していた。この決定は、個人がやったのではなく、海相山本権兵衛、軍司令部長伊東祐亨すけゆき
、同次長伊集院いじゅういん 五郎、首席参謀
(作戦班長) 山下源太郎以下大本営参謀ら東京側と、東郷とその幕僚とが、協議を重ねた末におこなわれたものであった。 この連合艦隊の考え方については、海軍はあまり秘密主義をとらず、新聞記者がインタヴューを申し入れてくれば、たいていこれに応じた。 なにしろこの国の国民が、超歴史的な貧窮の代償としてつくりあげた艦艇が海軍にまかせられている。それによって勝利をうけあうというのが、いわば国民と海軍との間に成立している自然な黙契もっけい
のようなものであり、海軍としては国民が知りたがっていることを、作戦の機密に属することをのぞいては出来るだけ知らせるという気分をもっていた。 この一月の東京滞在中に、真之が海軍省で一新聞記者のインタヴューに応じたときも、ずいぶん思いきったことを言っている。 「そう、バルチック艦隊はマダガスカル島にまだいる。その心境は、行こうかウラジオ帰ろかロシア、ここが思案のインド洋、といったところだろう」 この時期、ロシアに、革命前夜を思い合わせる重大な社会不安が起こっているということを、」真之はむろん知っている。 真之は、ロシア皇帝の立場になって考えるに、バルチック艦隊を極東に向かって放つよりも、むしろ国内の治安のためにクロンシュタット軍港に戻すほうがより有効な使用法なのではないかという考え方も成立すると思っていた。 「ここが思案のインド洋」 というが、実際ロシアはその判断に迷っているのに違いない。というのは、革命さわぎによって戦争どころではなくなったおり、帝政の寿命を延ばそうと思えばここで戦争を打ち切るほうがよく、そういう意見はすでに国外においても出ていた。戦争をややめるかどうかという国家的規模のためらいがバルチック艦隊をマダガスカル島に足止めさせている真相であるというのが、真之の見方であった。 真之はさらに、勝つ見通しについて具体的に語っている。敵の長所
(戦艦が日本より多いこと) と敵の短所 (巡洋艦が弱勢なこと) を説き、日本側にはこれに対して快速運動による連続打撃の戦法の準備があることに触れ、 「さらにこっちには潜航水雷艇もあるさ」 と、潜航艇を日本近海にばらまいているかのような宣伝計算による放言までしている。 |