クロパトキンは、攻撃を発起するにあたって、欧露からやって来る新鋭兵力
(第八団と狙撃歩兵第一旅団、第五旅団) がことごとく奉天に到着するのを待った。 彼らのすべてが到着したのは一月二十日であった。 クロパトキンは、新来のグリッペンベルグが、自分に対し、 ──
退却将軍。 というあだなで陰口を言っていることを知っていたし、さらにはこの新作戦の立案者であり実施者になったグリッペンベルグが、新作戦の成功によってペテルブルグの宮廷の人気を得、場合によっては満州軍総司令官たる地位をねらおうとしていることも知っていた。あるいは自分のことを、 「机上作戦の秀才」 と、陰口を言っていることも知っている。ついでながら、グリッペンベルグは、大将になった時期こそクロパトキンより遅かったが、士官学校の卒業年度からいえばはるかな先輩であり、すでに老将軍といってよかった。 「古ぼけた頑固者」 と、クロパトキンはペテルブルグの暖かいサロンからこの極寒の戦場に割り込んできた競争相手のことを言い、さらには、 「あの老人には、日本軍がどういう敵であるかが何も分かってはいない。彼はただ自分の栄誉のために派手な大仕事だけをしたいのだ」 とも、クロパトキンは言っていた。 クロパトキンがグリッペンベルグの大攻勢のために割
いた兵力は、シベリア第一軍団に猟歩兵一個師団、それに新たに到着した欧露第八軍団と狙撃歩兵第一旅団、第五旅団であり、それに加えてミシチェンコ中将の機動軍である。これだけで、彼らが攻撃しようとしている秋山好古の部隊のざっと六倍の兵力はあるであろう。 「まず、攻撃されよ。それが成功すれば、わが主力は日本軍の中央部を衝くであろう」 というのが、クロパトキンがグリッペンベルグに約束したことであった。 ──
成功すれば自分も動いてやる。 というものであり、ロシア陸軍きっての戦術家とされるクロパトキンの言葉としては、これほど奇怪なものはなかった。 ──
成功するかどうかは、見物している。 ということと同じ意味になるが、要するにクロパトキンはみずからは動かない。 当然この場合、クロパトキンは彼の手もとの第一軍を動かして日本軍の中央に対し強圧を加えるべきであった。となれば日本軍はその中央に一大疼痛とうつう
を感じるために、危機に瀕ひん
するであろう最左翼の秋山支隊を救援することが出来ない。そのうち秋山支隊が崩れ、グリッペンベルグは日本軍左翼をつぶしながら日本軍後方の総司令部を狙ううち、クロパトキンが日本軍中央を突破するというかたちをとるとすれば、日本軍はついに潰滅的な敗北を喫するであろう。 が、日本軍にとって幸運だったことは、クロパトキンはその同僚との暗争のためにそれをしなかったことであった。
|