やがて、休戦のはこびになる。 休戦には当然ながら、手続きが要る。というのは、二日正午から水師営でおこなわれる両軍委員の開城談判が無事終了した時をもって両軍がそれぞれ自軍に休戦命令を出すのだが、驚くべきことに、前線の両軍の兵士たちは、それ以前にそれをやってのけたのである。 段階的に言えば、乃木はステッセルから書状を受取った夜、諸部隊に対し、 「攻撃中止」 という命令を出した。なんのための中止であるかは内容を明かさなかった。 ──
ステッセルが降伏状を送ってきた。 などということを前線に報
せたりすると、士気が一時にゆるみ、万一不調に終わった場合、攻撃を再開するのが困難になるからである。 「攻撃中止」 という命令はこの夜のうちに日本側の全軍にゆきわたった。ただし第十一師団の一部にその命令が伝達されることが遅れた。それをわずかな例外として、戦場はにわかに静かになった。 二日は正午から開城談判というのに、この日の夜明けから、ロシア軍陣地からぞろぞろとロシア兵が出て来た。 「狂うがごとくにこの開城
(厳密にはまだ開城ではない) を喜んだ」 と、兵站へいたん
将校だった佐藤清勝という人が書いている。事実、ロシア兵は堡塁上に全身をあらわし、たがいに抱き合って踊っているかと思うと、一部の前線にあっては、日本兵も壕ごう
から出て互いにさしまねき、両軍の兵士が抱き合っておどるという風景も見られた。 なかには、日本兵が、ロシア兵の堡塁まで登って行き、酒を汲みかわしたりした。 さらには酔ったいきおいで日露両兵が肩を抱き合いながら敵地であるはずの旅順市街まで出かけて行き、町の酒場へ入ってまた飲むという光景さえ見られた。むろん軍規違反であった。しかしこの人間としての歓喜の爆発をおさえることが出来るような将校は一人もいなかった。 「負けてもいい、勝ってもいい。ともかくこの惨烈な戦争が終わったのだ」 という開放感が、両軍の兵士に、兵士であることを忘れさせた。このまだ交戦中であるはずの段階において、両軍の兵士がこのように戯たわむ
れながらしかも一件の事故もおこらなかったというのは、人間というものが、本来、国家もしくはその類似機関から義務づけられることなしに武器をとって殺し合うということに適む
いていないことを証拠だてるものであろう。 「よくまあ喧嘩沙汰がなくて済んだものだ」 と、あとになって両軍の関係者がこの 「非公認休戦」 の半日をかえりみて、不思議に思ったほどであった。きのうまで肉弾相あい
搏う つような死闘をくりかえしていた両軍兵士がである。 ──
どうやら休戦開城になるらしい。 というらしいの段階で、このような光景を出現したというのは、人間の不思議といっていい。 この光景がありえたというのは、まだ戦争にモラルが存在した時代であったからということもいえるし、さらにはこの旅順攻防戦が、人間がそれに耐えうるにはあまりにも長く、あまりにも悲惨であったからともいえるであろう。 |