〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/17 (日) 

水 師 営 (十六)

ロシア軍は悪戦苦闘をつづけていた。
が、日本軍の組織的攻撃はすさまじく、ついに一月一日午後三時三十五分、望台を占領した。
これより一時間前にステッセルは降伏を決意しているのだが、ただしそれを前線の将官たちにははからなかった。要塞司令官スミルノフ中将にすら口をとざしていた。
前線にあっては陸正面防御司令官のフォーク少将は戦意をほとんど失いつつあったが、東正面指揮官のゴルバトフスキー少将は、
「戦いはこれからである」
として、すでに望台が日本軍に半ば占拠されつつある時も、その方面の指揮官であるガリツインスキー大尉のもとに伝令を走らせ、
「万難を排して陣地を死守せよ」
と命じ、このためガ大尉は勇奮して守備兵の士気をふるいたたせ、再三にわたって日本軍を撃退した。ゴ少将は、手もとから二度にわたって予備隊を送り、同大尉はこれを掌握してさらに日本軍に打撃を与えたが、午後三時ごろ日本軍の砲火が集中してきて、ロシア軍の手榴弾集積所に命中し、大爆発をおこし、ガリツインスキー大尉も負傷し、ついに撤退して望台を日本軍にわたした。
望台を失ったゴルバトフスキー少将はなおも望みを捨てず、新たな防戦方針を決定した。
「なお残存している東鶏冠山第二堡塁と同砲台を連繋させ、それに加えて教場溝第一砲台付近から松樹山第四砲台 (残存中) にいたる陣地を再組織して、これをもって新抵抗線とする」
というもので、これほどの決定権はじつはゴルバトフスキー少将にはない。フォーク少将の同意を得なければならなかったが、ゴ少将はこれらについてフォークに対し連絡将校ステパノフ大尉を走らせて相談したところ、フォークは沈黙するのみで返答をしなかった。フォークはすでにステッセルの降伏の意を ぎ取っていたらしく思える。ゴ少将は独断指揮をはじめた。
戦場の命令系統は混乱した。ゴ少将は東鶏冠山第二堡塁に対し、
「その堡塁を死守せよ」
と、命じたが、たまたま同堡塁は日本軍の激烈な攻撃を受けている真っ最中であり、堡塁長は悲鳴をあげて、退却の許可を一段とびこえてスミルノフ要塞司令官に乞うた。
スミルノフはゴルバトフスキーと同意見の男だったから、
「死守せよ」
を繰りかえした。同堡塁長は窮したあまり、フォーク少将にむかい、
「ゴ少将が撤退をお許しにならないのです」
と、泣訴きゅうそ した。フォークはゴルバトフスキーに対し撤退を許すように命じた。ゴ少将はやむなくそれに従ったが、しかしその守備兵を休息させず、ただちに北斗山砲台卑近に収容してさらに死守を命じた。午後八時半である。
が、これより六時間前、ステッセルはすでに開城についての意思を日本軍に対して表明すべく軍使を発していたのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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