〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-\』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/05/16 (土) 

水 師 営 (十三)

戦闘は、つづけられた。
「ステッセルの意志が維持するように」
というのは、前線を指揮しているゴルバトフスキー少将の祈るような気持であった。
ゴルバトフスキー少将は、この時期、以下のようにその副官に語っている。
「われわれは過去二百日にわたって日本軍に勝ちつづけた。ただ二〇三高地をうばわれて以来、戦勢は逆転した。戦闘は日に日に惨烈になっている。軍人がその価値を問われるのは、勝ちに乗じている時ではなく、むしろこのような時である」
と、言った。この場合、軍人というのはステッセルをさすのであろう。 ゴルバトフスキーのいう意味は、一軍の司令官たる者は勝っている時は後方で酒でも飲んでいればよく、負けこんできたときに杯を捨ててみずから剣を抜いて前線へ挺身し、士卒をはげまして彼らをして最後まで軍人としての義務をつくさしめるにある。そのために存在している、ということであろう。
が、ゴルバトフスキーの見るところ、ステッセルは必ずしもそうではない。戦闘の調子のいい時期にはまれに砲台を巡視したこともあったが、二〇三高地の陥落後は前線へ出向こうともせず、旅順市街に居つづけた。
ステッセルは後方に居つづけたために、前線の惨況よりも、病院の惨況を知りすぎた。
旅順の病院設備は、決して少なくない。陸軍病院が一、海軍患者収療所が九。さらにこのほかロシア赤十字社病院が二つ。それに病院船カザン号が一隻で、あわせて二十九ヶ所という、その軒数からみれば一見、不足はなさそうであった。が、患者数はそれをうわまわってしまっていた。傷病者一万七千人であり、どの医療設備も、その収容力の二、三倍の患者を擁し、ベッドは不足し、このため廊下にアンペラを敷いて患者を寝かせ、それが玄関にまであふれているという始末であった。その上、医薬品や衛生材料が不足し、さらに前述したように、生鮮野菜が不足しているため、それに原因する病気のほか、外傷者の傷の回復も容易でなく、さらには発狂者も多く、砲声が聞こえるたびの、泣き叫ぶ患者もいて、その惨状は尋常でない。
ステッセル夫人のヴェラ・アレクセーエヴナは、特志看護婦の代表としてそれらの病院を見てまわることが多かったが、この惨状は患者よりもむしろ彼女の神経を病的にさせた。
「これ以上、戦いをつづける必要があるでしょうか。ここまでやれば神も皇帝も嘉し給うのではありませんか」
と、日夜ステッセルに言いつづけた。
その上、日本軍の砲弾は、昼夜かまわずに旅順の新市街と旧市街に落ちるのである。
まず遠雷のような音がとどろき、やがて落下して窓も床も天井もふるわせるような震動をおこすのだが、このことがヴェラの神経をいっそうに病ませた。
傷病兵の悲惨さにせよ、砲声の恐怖にせよ、戦争にはつきものの現象であり、ステッセル自身はそれに耐えうる神経はもっていたが、しかしそれよりも彼にとってヴェラの悲鳴のほうがこたえた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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