二〇三高地は、すでにおさえた。 乃木希典日記の十一日の項に、 「有風、烈寒、零下十度」 と、ある。 この朝、彼は豊島山の陣地を巡察しなければならなかった。柳樹房の軍司令部を出るとき、観戦員の志賀重昂が、玄関まで送ってきた。外は、烈風に雪がまじっていた。 乃木は庭へおりてからふと志賀の方へ引き返し、ちょっとはにかみの微笑をうかべつつ、 「志賀さん、あとで見ておいてください」 と、志賀の掌に紙片を握らせた。 志賀が部屋に戻ってからその紙片を開くと、鉛筆で詩稿が書き付けてあった。 有名な爾霊山
の詩である。 爾霊山嶮豈難攀 男子功名期克艱 鉄血覆山山形改 万人斉仰爾霊山 とある。 志賀は小声で訓よ
みくだした。 爾霊山 嶮なれども豈あに
攀よ じ難がた
からんや 男子功名 艱かん
に克か つを期す 鉄血山を覆うて
山形改まる 万人斉しく仰ぐ 爾霊山 志賀は、この詩に驚嘆した。 ── 自分も遠く及ばない。まして児玉さんなどは。 と、数日前の詩会での児玉の詩を思ったりした。第一、 「爾霊山」 という、この言葉の輝きはどうであろう。この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻しんいん
を帯びているといってよかった。二〇三にれいさん
という標高をもって、爾なんじ
の霊の山という。単に語呂を合わせているのではなく、この山で死んだ無数の霊 ── 乃木自身の次男保典をふくめて ── に乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけ、しかも結けつ
の句でふたたび爾ノ霊ノ山と呼ばわりつつ、詩の幕を閉じている。 じつは、二〇三高地が陥落した日の翌日、この山にどういう名をつけるかについて、山上で議論があった。 第一師団長の松村務本かねもと
は、 「鉄血山がいい」 と言った。鉄と血をもって奪ったからだという。これに対し、矧川しんせん
志賀重昂は、 「旅順富士はどうでしょう」 と献案したが、あとで考えて、志賀はわらながらまずい案だと思った。 「児玉山はどうでしょう」 と言う者がいて、ほぼそれに決まりかけたが、なんとなく議がまとまらず、そのままになっていた。その命名のまとめ役は、志賀重昂が引き受けさせられていた。 (爾霊山以外にない) と、志賀は、この詩で思った。 |