〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/14 (土) 

旅 順 総 攻 撃 (六)

ともあれ、旅順の日本軍は、 「老朽変則の人物」 とひそかにののしられている参謀長を作戦頭脳として悪戦苦闘の限りをつくしていた。一人の人間の頭脳と性格が、これほどの長期にわたって災害をもたらし続けるという例は、史上に類がない。
そのかん 、日本国家をあげて恐怖し続けていたバルチック艦隊が、すでに本国を出港してしまっていた。
東京の海軍軍令部では、
「もし旅順が陥ちぬという状態のままで日本海軍がバルチック艦隊を迎えるとすればどうなるか」
という不幸な予想のもとに作戦研究がされていた。が、それは日本の敗北という解答しかしか出なかった。
ということは、この状況下でも東郷艦隊はバルチック艦隊に勝つであろう。
「勝つことは、勝てるのだ」
と、海軍大臣山本権兵衛はその点ではなにも不安を抱いていない。山本は、ロシア艦隊に勝つべくして日本艦隊を作った人物であった。げんに艦隊の質的威力も士卒の能力もロシアに比べて格段に上で、このために山本はどういう状況になろうと海軍が惨敗することはないと思っていた。
ただ海軍の場合、大戦略からの要請として、勝つだけではどうにもならず、バルチック艦隊を一隻も残らず沈めてしまわなけらばならない、ということであった。
なぜなら、バルッチク艦隊の巨艦が数隻でも残って、未陥落の旅順港に逃げ込めば、陸軍の兵員や物資の海上輸送はおびやかされつづけ、満州における日本陸軍はなしくずしに負けてしまうであろう。そのことは、明白であった。
「一隻残らず沈めるのだ」
という大戦略のもとにこそ、日露戦争そのものの勝利がる。が、敵の大艦隊を一隻も残らずに海底に葬り去るという戦例を世界史はかつて持ったことがない。
「が、無理であろうが何であろうが、それをやる以外に日本国家の存立はない」
というのが、山本権兵衛の意見であり、この意見は、議論でも詭弁きべん でもなく、算術の答えのように動かし難いものであった。
陸軍の参謀長の山県有朋などは、山本に言われてからこれに気づき、
── なるほどもっともだ。
と、現地軍の大山巌や児玉源太郎を督励した。大山も児玉も、言われるまでもなくそれがよく分かっていた。この両人は山本と同じ思考法の中での大戦略のもとに動いていた。ただ、形式上、大山・児玉の支配下にある乃木軍総司令部が、その大戦略についての感度がきわめて悪く、彼ら乃木軍幕僚たちが会議をするたびに、
「海軍はあせりすぎている。陸軍には陸軍のやり方があるのだ」
と、問題を、大戦略という高次元から、陸海軍対立という低次元へ引き下げてしか、物事を考えたり言ったりすることが出来なかった。そのために海軍が主張しつづけている二〇三高地への主力攻撃をしかけるということを乃木軍司令部は拒絶しつづけてきた。
は、現実は進行している。バルチック艦隊はすでに大回航行動を開始していた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ