有馬良橘の一番船は前回と同様、探照燈にあてられつづけて目がくらみ、ふたたび港口がどこにあるかという方向を失った。 港口から見ればやや右へ舵
をとりすぎ、黄金山下の海岸にちかい水道へ入り、陸上に船首を向けて投錨とうびょう
し、爆沈した。 それを二番船福井丸から見ていた広瀬武夫は、もうそこが港口だと思った。操船しつつその千代丸の左側に出、錨を投じようとした。そのときロシアの駆逐艦が近づき、魚雷を発射した。それが船首に命中し、大爆発を起こして船底が裂け、たちまち浸水し、沈没しはじめた。 が、脱出作業は十分間に合った。予定のようにボートが下ろされた。作業終了とともに全員が後甲板に集合することになっていた。みんな集合した。同行した大機関士栗田富太郎の後日譚ごじつたん
では、広瀬が各現場を見とどけてもっともあとからやって来て、例の快活な、ややかん走った声で、 「オイオイ、みなあつまったか」 と言い、番号をとなえてみろ、と言った。すでに短艇の中にも人がいる。そこから番号をとなえると、杉野上等兵曹だけがいなかった。杉野は前甲板で働いていたはずだった。 広瀬は甲板にいた兵員とともに上甲板をかけまわり、杉野、杉野、と呼ばわってまわったが大小の砲弾がまわりに炸裂さくれつ
し、探照燈がその辺りを照らし、その凄惨さはこの世のものでも¥はない。 みな後甲板に戻って来た。ふたたび、さがした。広瀬が一人々々に聞いてみると、たれも作業中杉野の姿を見た者がない。ただひとりの飯牟礼いいむれ
仲之進という一等兵曹が、 「杉野上等兵曹はおそらく敵の水雷 (魚雷) が命中したとき、舷外に飛ばされたのではないでしょうか」 と、言った。が、それは想像である。 広瀬は、三度目の捜索に出た。ひとり前甲板の方に駈けて行き、杉野、杉野、と呼ばわって行く。その声が、栗田大機関士の耳に遠ざかって行ってひどく心細かった、と言う。 広瀬はなかなか戻って来なかった。このとき船底までさがしたらしい。 やっと戻って来たとき、足もとに水が浸ひた
ってきた。沈没です、と粟田がたまりかねて言った。 広瀬はやむなく杉野をあきらめ、爆破用意を命じ、全員ボートに移った。爆破用の電纜でんらん
は長くのばしてあって、ボートにまで取り込んである。ボートは本船から離れ、四、五艇身も離れたころ、広瀬みずからがスイッチを押した。船の後部が、みごとに爆破した。 あとはボートを漕ぎつづけるのみである。広瀬はオーバーの上に引廻しを羽織り、ボートの右舷最後部にすわって、ともすれば恐怖で体がかたくなろうとしる隊員をはげまし、 「みな、おれの顔を見ておれ。見ながら漕こ
ぐんだ」 と、言ったりした。探照燈が、このボートをとらえつづけていた。砲弾から小銃弾までがまわりに落下し、海は煮えるようであった。 そのとき、広瀬が消えた。巨砲の砲弾が飛びぬけた時、広瀬ごと持って行ってしまったらしい。その隣に座って舵をとっていた飯牟礼ですら気づかないほどであった。広瀬の死はその後露都に伝わり、彼の恋人だったアリアズナは、伯爵海軍少将の娘でありながら、その未来の夫である日本海軍の仕官の為に喪装をつけ、喪に服した。 |