〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/01/26 (月) 

風 雲 (二十二)

そういうことで、司令長官の内定は東郷に決まったが、当然なるべき日高壮丞が失脚したことについては、ほかに事情がある。
日露事情が険悪になってきた時期、ある日、参内さんだい して来た権兵衛に明治帝が、
「世間の一部の元気のいい主戦論を説く者があるが、もし万一戦端が開かれた場合、海軍は勝てるのか」
と、下問された。
権兵衛は、簡潔に答えた。
「ロシアと日本の海軍勢力は十対七で、この劣勢をもって尋常の戦いをすればとうてい勝ち目はございませぬ」
ただ戦略をもってすれば勝算はございます、と言った。
戦略というのは、日本としてはロシア側の艦隊勢力が分散していることを奇貨とし、これにつけ入る、という。つまりロシアは、バルト海と黒海、それに太平洋に海軍勢力を三分している。日本としてはワン・セットしかない艦隊をあくまでも一本にまとめておき、これをもって敵の分散した力をお個々につぶしてゆく、というものであった。
いまひとつ欲をいえば、三分している敵を四分させておきたい。幸い、というか、この時期、ロシアは朝鮮侵略の一環として日本に近い馬山浦ばざんぽ を租借しようとしていた。日本の陸軍当局は大いにあわてたが、権兵衛はひそかに喜んだ。ロシアが馬山浦にまで軍艦を入れておくとなればいよいよその海軍勢力は分散する。日本としては、ロシアの弱小化した四つの小艦隊を個々に撃破してゆけば済む。
ところが、日本の参謀本部は、外務省と示し合わせて実業家を馬山浦にやり、軍港予定地の要所々々をひと足先に買収してしまい、ロシアの意図を砕いてしまった。
この処置は権兵衛を失望させたが、この一件で彼を不快にさせたことは、陸軍のこの買い占め策を、日高壮之丞が本省ににも相談せずに大いに協力したことであった。
「日高は思慮が浅い。それに独断でありすぎる」
と、権兵衛は、若いころからの日高のそういうへき を知ってはいたものの、この一件で決定的な滅点をした。
いまひとつ、権兵衛が日高を忌避きひ したのはその秘密保持力のなさである。
権兵衛は、対露戦を決意したときから、ロシアには日本海軍の実勢を出来るだけ知られまいとし、艦隊司令長官、鎮守府司令長官に対し、その旨の秘密訓令を発した。
ところが日高は、あるとき麾下きか の全勢力を率いて神戸に入港した。その時神戸港にはロシア軍艦二隻がすでに滞港中で、日高はそれを知っていたのもかかわらず、むしろロシア軍艦に対し、日本の艦隊を誇示しようとした。秘密もなにもあったものではなかった。
権兵衛はあとでこれを聞き、日高の勇猛の裏にあるものは単に軽率でしかないことを知った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ